そこで、働く女性や高齢者の増加で財政状況が良くなっている厚生年金の積立金の一部を活用して基礎年金を「底上げ」する案が浮上した。そして、この底上げを重要な柱とする年金制度改革関連法案が6月に成立した。ただ、底上げを実際に行うかどうかは、29年に予定されている次回の財政検証の時点で判断するとされた。また、厚生年金の積立金を活用するとしても、基礎年金の2分の1は国庫負担(税)で賄われるが、1~2兆円に上るとされるその財源をどう確保するかは全く議論されていない。
要するに、貧困の高齢化は政策課題として意識されるようになったものの、対応策は将来の政策課題としてほぼ完全に〝先送り〟されたのである。
「今の世代」VS「将来世代」
日本で起きている対立構造
筆者は、貧困の高齢化という問題に真正面から取り組むためには、(今回の年金制度改革では見送られたが)国民年金保険料の拠出期間の40年から45年への引き上げや、(他の先進国より低く設定されている)年金の支給開始年齢の引き上げによって、年金給付水準を担保するといった、かなり大鉈を振るう改革が必要だと考えている。しかし、選挙を見据えて政治家は誰も言い出さない。今回の改革でも、底上げの実施やその財源確保をめぐる議論は先送りされている。
おそらく最も蓋然性の高いシナリオは、低年金・無年金の高齢者が生活保護の受給者となる傾向が一段と強まり、その財源を確保する必要が高まるものの、消費税の引き上げは政治的に不可能であり、したがって赤字国債の発行で負担を将来世代に先送りする─というものであろう。
「シルバー民主主義」という言葉がある。少子高齢化が進むと、頭数の多い高齢層の利益が優先され、現役層が不利益を被るという、年齢階層間の対立の構図である。しかし、私たちが行うとしている政治的な意思決定では、高齢層と現役層の間に明確な対立は生じていない。誰も負担増に直面することを忌避し、それが政治的な意思決定に反映されているからだ。その意味で、高齢層と現役層はむしろ協調している。
日本で本当に起きているのは、「今の世代」VS「将来世代」という対立構造なのである。
人口が順調に増加し続けている状況であれば、負担を先送りしても社会を支える人が増えていくので、問題は顕在化せず吸収されていく。
しかし、24年の出生数は過去最低の68万人にまで減少した。社会を支える人はむしろ減っていく。今の世代と将来世代の利害対立は尖鋭化するが、投票権のない将来世代は一方的に損失を被る。
貧困の高齢化は、私たちが近いうちに直面する深刻なリスクである。リスクを吸収するためには、何らかのコストがかかる。そのコストを私たち今の世代で対処するのか、それとも将来世代に先送りするのか。将来世代は、まだ現前に姿を現していない。私たちが下す意思決定を将来世代がどのように受け止めるか、思いを巡らせ、現実的な解を見出す必要がある。
