2025年12月6日(土)

偉人の愛した一室

2025年7月27日

京都仕込みの
〝粋〟が光る建築

 木造3階建ての高楼建築、門司港レトロを代表する三宜楼は、日露戦争の頃に三宅アサによって創業された。アサは京都祇園で生まれ育ち、下関を経てこの門司港に腰を据えたのだが、京の水は忘れ難かったと見える。

 石段を上がって玄関を入ると、まず目につくのがたくさんの下地窓だ。それぞれ意匠が異なり、例えば2階への階段脇には松、雲、山をモチーフに3つの窓が切られ、上がった正面には月が待ち構える。全館で40カ所、すべて異なる高度な装飾が施され、まさに祇園の粋が写し取られているかのようだ。

玄関を入ると右手の凝った形の下地窓が目を引く。各部屋で統一された下地窓のしつらえは、全部で40種以上あるというから驚きだ
「出世階段」とも呼ばれる階段の両側には下から松、雲、山、月の下地窓が設けられている

 佐三が大人数の宴席に用いたのが2階の「百畳間」である。60畳を超える広さに、港を見下ろす縁側が回されている大広間、特筆すべきは16畳もの舞台だろう。折り上げ格天井に、欄間が設けられるほどの奥行きがあり、踊りや演能に用いられた。料亭で能を演じるのは極めて珍しい。アサは芸事へのこだわりが強く、京都から師匠を招いて芸妓を仕込んだ。客にも粋人や文化人が多く、3階には佐三が好んだ部屋や俳人・高浜虚子に愛された部屋もあった。

大広間の見事な格天井から吊るされたひょうたん型のライトが特徴的な3つの大型シャンデリアは当時の資料から再現して作られたものだ
多くの芸妓が舞っていた百畳間の舞台上には芸妓が実際に着ていた艶やかな衣装が展示されている
3階の「俳句の間」には高浜虚子と杉田久女の句が飾られている。部屋ごとに意匠の異なる下地窓も見所だ

 浴衣姿の佐三の写真が残されている。ご案内くださった方によれば、この地では汗を流して宴席に臨むこともあり、三宜楼にも風呂が用意されていた。門司ゴルフ倶楽部の発起人だった佐三なら、ラウンド後に浴衣姿で一献、そんな接待もあったろうか。美しい芸妓に囲まれて寛ぐ男たちの姿に、門司港のかくれなき繁栄が見事に写り込んでいる。

 敗戦で軍需が失われ、門司港は繁栄の歴史を閉じてゆく。だが、佐三の人生にはヤマ場が待っていた。53(昭和28)年、世界のエネルギーを支配していた石油メジャーに一矢報いた「日章丸事件」が起こったのは、佐三68歳の折だった。

 英国資本に利益を独占されていたイランは石油の国有化を一方的に宣言、これに抵抗する英国がイラン石油の販売を阻止する動きに出た。イランの苦境を見かねた佐三は、メジャーにコントロールされている石油貿易に風穴を開ける目的もあって、自社のタンカー、日章丸のイランへの派遣を決意する。国際紛争を招きかねない重大事、イランと秘密裡に交渉を重ねる一方で、国際法に抵触しないか、日本政府に責任が及ぶことはないか配慮がなされ、さらには、国際世論の動向も考慮して念入りに計画が練られた。

 元船乗りであった社員らを乗せて神戸を出港した日章丸は、英海軍の警戒網を見事かいくぐり、イランからガソリンと軽油を持ち帰る。その間、日章丸の動きが刻々と世界に伝えられ、これを妨害しようとする英海軍の動きも報じられて、まるで戦記物をみるかのようだった。その様子は近年、小説『海賊とよばれた男』に描かれて話題ともなった。

 英メジャーにより日本での法廷闘争に持ち込まれたが、最終的に出光側の勝利に終わる。その後イランの首相が失脚し、佐三のビジネスは短期で終わったが、日本とイランに良好な関係をもたらし、英米メジャーによる石油独占が崩される契機ともなった。世界を相手に示された日本の「石油王」の気骨、今となっては隔世の感を抱かざるを得ない。

佐三が好んで利用していた豪奢なしつらえの3階の和室(現在は改装中、三宜楼保存活用協力会提供)
現在改装中の3階の和室はその様子を覗き見ることができる
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Wedge 2025年8月号より
終わらなかった戦争 サハリン、日ソ戦争が 戦後の日本に残したこと
終わらなかった戦争 サハリン、日ソ戦争が 戦後の日本に残したこと

1945年8月15日。終戦記念日として知られるこの日に、終わらなかった戦争があった――。樺太(現ロシア・サハリン)での地上戦、日ソ戦争である。
「沖縄が〝唯一〟の地上戦」と言われるが、北海道のさらに北、日本領「南樺太」でも地上戦があったことは広く知られていない。
8月9日以降、ソ連軍は、日ソ中立条約を一方的に破棄し、侵攻。8月15日を経てもなお、戦闘は終わらなかった。この間、多くの人が亡くなり、沖縄戦同様、死の逃避行や集団自決もあった。長らくサハリンに残留を余儀なくされ、ソ連崩壊後にようやく日本に帰ることができた人もいた。
終わらなかった戦争は戦後の日本に何を残したのか。また、現代においても、様々な困難が立ちはだかる日本とロシアの関係はどうなっていくのか。
未来を切り拓くために過去の悲劇を学ぶとともに、歴史の忘却に抗いたい。


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