2025年12月6日(土)

オトナの教養 週末の一冊

2025年8月31日

石油会社勤務の経験が今に生きる

萩原健(はぎわらけん) 。国境なき医師団緊急対応コーディネーター。活動責任者。1967年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学卒業。石油開発企業勤務を経て2008年から国境なき医師団に参加。2017年から緊急対応コーディネーター兼活動責任者に。紛争、難民・国内避難民、災害、感染症流行対応など、数々の現場を経験し現在に至る。

 萩原さんは、国境なき医師団での活動を開始する前に10年ほど、石油開発会社で働いていた。交渉や折衝を行ないながら実現可能な活動計画を立てるなど、ジェネラリストとして活躍していた経験が今に役立っているという。

「責任ある医療団体として、継続性ある医療援助活動をするということは非常に大変なことなのです。それが安全を確保するのが容易ではない紛争地であればなおさらです。

 たとえば救急救命処置を施された患者さんは、その後、手術を要するかもしれないし、入院の必要があるかもしれません。入院した患者さんには食事が必要となるでしょう。退院後も適切に包帯を交換しなければ感染して生命が脅かされる可能性もあるため通院しなければならないでしょう。また、何年にもわたって長期的な治療を必要とする患者さんもいます。

 すべてをカバーすることはできないとしても、だからといって一部だけを切り取って、安易に一時的な医療活動をして終わり、というような簡単な話ではありません。そもそも医療体制が崩壊しているような活動地であればなおさらです。それは医療団体としての倫理性にも関わってきます。

 一言で緊急医療援助活動と言っても、医療以外のことを含め様々なことを踏まえて実現可能なプログラムを立ち上げる、それも緊急対応コーディネーターの大きな役目の一つです」

 23年10月にから現在まで、国境なき医師団は何十か所もの医療施設からの移動を余儀なくされ、状況の変化に応じて転々としながら活動を継続している。そして、今もなお現地で懸命に闘っている医療スタッフが大勢いるという。

「国境なき医師団として現在進行中の活動において目撃、直面している問題を公に声を上げることは、一般に思われているほど容易なことではありません。紛争地では、当事者それぞれに異なる『主義主張』と『正義』があり、それぞれの理屈があります。人道と医療という観点から、確信をもって問題提起したとしても、それを受け入れない紛争当事者もいます。中には医療援助活動を妨げる行為に走る当事者だっています。

 私たちが発信した言葉一つで、医療活動の中断または停止に追い込まれる可能性さえあります。それは、本当に治療を必要とする人びとにとっては、医療へのアクセスを失うことを意味します。『普遍的な医の倫理』、『人道援助』、『独立・中立・公平という原則』を、言葉だけでなく行動で示していくことは、紛争当事者からの理解を得るうえでも非常に大切なことですが、同時に最も難しいことでもあります。

この本を書くにあたって本当に苦労したのは、現地で起きていることを正しく理解すること。自分の理解が独善的にならないよう、色々な方面から物事を見て表現にも細心の注意を払いました」

 こうした活動を発信することは非常に難しい。それでも、出版に至った背景にはある強い思いがあった。

「 2009年にイエメンでサーレハ元大統領下の政権とフーシー派との北部第六次軍事衝突が起きた時に、サウジアラビアの国境付近で活動していました。空爆が始まって本当に大変な状況でしたが、それを報道した国際メディアは皆無だったと言って良いほどでした。現地に入れなかったという理由も背景にあったので仕方がないとは思うのですが、なぜこのような人道危機を、誰も世界に知らせてくれないのかと悲しくさえなりました。また、当時はインターネットも今ほど普及していなかったという点もありましたが……。

 その時に、『私たちは、世界に忘れ去られてしまっているんじゃないか』と感じたのです。今ここで起きていることが、世界に知られず、自分が命を落としたとしても、いったい誰が気づいてくれるのだろう。そんな不安と恐怖を感じたのを覚えています。

 今、地球上のガザというところでは、国境なき医師団だけでなく、人道と医療の名の下に、傷ついた住民を救うために日々必死に活動している人たちがいる。そして、今を生き抜こうと闘っている人びとがいる。このことを心の片隅においていただけるだけでも、我々にとっては大きな励みになるのです」

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