没後3年で完成した「大日本沿海輿地全図」は大図、中図、小図が作られて幕府に秘蔵された。大図は紙214枚に分割して描かれ、つなぎ合わせるとおよそ縦47メートル、横45メートルにもなる。その精度は、経度の測定に限界があり東西にズレが見られるものの、南北の誤差は1000分の3ほど、極めて正確な姿を描き出した。三角測量や地図投影法が確立されていなかった時代、これは奇跡といっていい。これを目にした英国海軍は日本の測量を中止し、写しを持ち帰り翻訳した。勝海舟が幕末に用いた「大日本沿海略図」はこの英国版「伊能図」が元となった。
忠敬は几帳面かつ謹厳な性格で、実測中は隊員に規律と節制を求め、時間の許すかぎり測量を繰り返して誤差の補正に努めた。その実測距離は4000万歩に達すると井上ひさしは小説で描いたが、老いて大事をなすとはそういうことかもしれない。凡人なりに、せめて志だけは胸に抱いておきたいと思った。
