2025年12月5日(金)

革新するASEAN

2025年9月22日

国内外の事情がベトナムの工業化を後押し

 ベトナムがこのように輸出志向型の外資企業の誘致に成功し、それを成長にうまく結びつけていけた背景にはベトナム国内外双方の要因が存在する。まず、ベトナムに影響を与えた外部環境としてグローバル化を指摘できる。80年代半ば以降、円高により輸出競争力が低下した日本企業や自国の労働コストが上昇したNIEs(新興工業経済地域)企業は労働コストの安い、中国や東南アジア各国に生産拠点の移転を進めた。

 さらに、電気機器や電子部品産業では、部品のモジュール化が実現されたことで、生産工程ごとに技術レベルや採算に見合った場所で生産する水平分業化が進められた。こうした世界的な大きな動きは、途上国が外資の製造業企業を誘致し、自国をグローバル・サプライチェーンにうまく組み込むことができれば、輸出を大幅に伸ばし、それをエンジンとした成長を実現する可能性を高めた。

 一方、ベトナムでは、計画経済の度重なる失敗で国内経済が大きく疲弊していたという固有の事情が、政府に輸出志向型外資企業の誘致へ舵を切ることを迫った。ベトナムは76年の南北統一後、計画経済と社会主義工業化を根幹としたソ連型の経済成長を目指した。しかしながら、これは農業部門の生産物を工業部門に安価に供給するという側面を持っていたため、農業部門の生産意欲が高まらず、不足した食料を海外からの輸入で賄った。

 この結果、工業化に不可欠な工場設備など資本財輸入の外貨割り当て枠は大きく制約されることになり、工業部門の活動は大きく低下を余儀なくされた。ベトナム政府は部分的な自由市場の導入や非国有企業活動の部分的な自由化などを進めたが、根本的な解決には至らず、最終的には86年にドイモイと呼ばれる政治・経済の本格的な改革路線の導入に踏み切った。しかし、国内経済の基盤があまりにも疲弊し切っていたため、残された選択肢は対外開放と輸出をテコとする戦略の採択しかなかった。

 こうした経緯のなかで、ベトナム政府は外資導入と輸出振興を目的とした投資環境整備を進めた。法制度では87年に外資企業に税制インセンティブなどを与える外国投資法を制定した。同法は外資企業の意見も取り入れながら、4回にわたり改正され、06年にはベトナム企業と外資企業の全てを対象とする企業法と投資法に統合された。この企業法と投資法も状況に応じて改正され、15年の改正では投資禁止分野や制限分野が大幅に削減された。

 また、貿易環境面では、91年中国と、94年には米国と国交を正常化した。そして、95年にはASEANに加盟し、01年には米越通商協定が発効された。この協定の発効により米国におけるベトナムからの輸入関税が大きく引き下げられ、ベトナムの対米輸出は急拡大した。その後もWTO加盟(07年)のほか、世界の多くの国・地域との自由貿易協定締結を推進し、19年には「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)」を発効させた。こうした国際社会との繋がりの強化はベトナムに政府開発援助(ODA)の流入も促し、インフラ整備などの進展に貢献した。

 これまでの議論を振り返ってみると、ベトナムはグローバル化を最大限に活用して成長した典型例ということができる。ベトナム固有の事情に世界的な立地行動の変化が加わることで、大量のFDIが流入し、ベトナムは加工・組立輸出の世界有数の拠点となり、それが高成長へと結びついた。次回の中編では、ベトナムのこの成長モデルの持続性について検証していきたい。

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