前回のコラム(『M&Aターゲットを逆指名する“Deal Intelligence”の要諦』)では、M&Aを“出物待ち”の偶発的な出会いではなく、“戦略を起点とした逆指名”のプロセスへと進化させる視点、即ち、Deal Intelligenceの重要性を論じた。
具体的には、まず自社が中長期的に参入・強化すべきセクターを特定し、その領域における主要プレイヤーの市場ポジション・収益構造・資本構成・競争優位性などを徹底的に調査する。その上で、自社の戦略に資するターゲットを“逆指名”し、いつ・なぜ・どのようにM&Aが起こり得るかという「蓋然性」を設計するプロセスのことである(前稿で掲載した「Scheduled 型M&A戦略において回すべきPDCA」の資料を再掲するのでご参照いただきたい)。
しかし、たとえM&Aの蓋然性がある程度高くなったとしても、すぐにディールが進むわけではない。今回解説する「Deal Creation(プレ・ディール戦略)」は、前回解説したDeal Intelligenceから一歩踏み出して、まさに“買える状態”をどう作るかというプロセスである。事業計画、買収価格、買収ストラクチャー、法務・財務・税務面などの障害を事前に見極め、ターゲット企業と信頼関係を築きつつ、双方にとって最適なディールの“地ならし”を進めていく。
このプレ・ディールフェーズが不十分であれば、せっかく見出した最良の相手も“絵に描いた餅”になってしまう。本稿では、案件化に向けて実施すべき具体的な検討項目やアプローチ、即ちプレ・ディール戦術を整理しつつ、M&Aを「選び抜いた意思決定」に昇華させるための技術とマインドセットを明らかにしていきたい。
1. 事業計画に関する議論と買い手側の付加価値提供
プレ・ディール戦術における事業計画の議論は、単に数字を確認する作業ではない。これは、売り手企業が描く成長戦略を深く理解し、その実現に向けて買い手がどのような価値を提供できるのか、Deal Intelligenceフェーズで見出した「Take & Give」の関係性が機能するかどうかを検証するフェーズなのである。従ってこの段階で重要なのは、「なぜその企業を取得するのか」という戦略的必然性の再確認と、「取得後にどのようなシナリオが実現可能か」というシナジー実現性の両輪を揃えることである。
売り手企業の事業計画には、通常、彼らが目指す成長シナリオが色濃く反映されている 。例えば、新製品の投入による商品ラインナップの拡張、地理的拡大を含む販売網の強化、あるいは設備や人員の増強といった施策などである。これらの成長施策を実行するためには、技術、人材、そして資本が不可欠なのは言うまでも無い。ここで買い手側が問われるのは、これらのリソースをどのような形で提供できるか、そして、買い手との統合によって売り手の事業が強化され、新たな成長機会を「共創」できるかと言うことである。この成長機会の共創こそが、当初は売却意欲がなかった相手との間で、何らかの資本関係を発生させる最大のポイントなのである。
この事業計画に関する綿密な擦り合わせは、後述するプライスギャップ(価格の隔たり)を埋めるためにも不可欠だ 。買い手側が提供する具体的なソリューションやリソースが、売り手側の成長計画をどれだけ加速させ、また彼らの根源的経営課題の解決にどれだけ寄与するかを明確に示すことで、買い手に対する強い信頼が生まれ、それがM&A発生の確度をまたひとつ上げることになるのである。

