2025年12月5日(金)

革新するASEAN

2025年8月27日

 私はこれまでの連載で三部作を書いてきた。第一回では「偶然の出物待ち」ではなく、自ら仕掛けるScheduled型M&Aという戦略的アプローチを提示した。第二回では、逆指名の発想に基づくDeal Intelligenceを論じた。ターゲットが持つ「札」を読み、こちらが差し出す「札」と組み合わせることで初めてディールが成立するという考え方だ。第三回では、案件を「絵に描いた餅」にしないための実務、すなわちDeal Creationの方法論を解説した。

 これまで三部作で積み上げた理論は、いずれも「正しく買う力」とは何かを解説している。だが、M&Aは「買った瞬間」で勝敗が決まるわけではない。むしろ、そこから歴史が始まる。買収先をどう経営し、いかに企業価値を高めていくか。これがPMI(Post-Merger Integration)の課題であり、M&Aの成否を分ける最大の要因だ。即ち、Scheduled型M&Aの真価はPMIでこそ問われる。

 M&A(企業の合併・買収)は、企業の成長戦略において重要な手段の一つである。しかし、多くのM&A案件が期待通りの成果を出せず、失敗に終わるケースも少なくない。M&A失敗の背景には、戦略の欠如、高値掴みとDD(デューデリジェンス)の不足、そしてPMIの失敗という三つの根本要因が存在する。これらの要因は独立して存在するのではなく、互いに複雑に絡み合いM&Aの成功を阻んでいる。

(metamorworks/gettyimages)

M&Aの失敗要因①:戦略の欠如

 M&Aの失敗原因としてまず挙げられるのが「戦略の欠如」である。多くの企業は、売上や利益などの数値目標を掲げた中期経営計画(中計)を策定し、その達成のための重要な戦略としてM&Aを位置づける。たとえば、「3年間でM&Aに1,000億円を投じる」といった目標が設定される。この段階では、特定の買収ターゲットは存在しない。買収の動機は、売上の拡大、シェアの向上、人材確保、コスト削減など、中計の数値目標達成に資するものであるべきだ。

 しかし、現実には、売り手のファイナンシャル・アドバイザー(FA)から買収の打診を受けた途端、事態は一変する。本来の「事業戦略」から、「目の前の案件をどうするか」という「出物ありき」の二元論に陥ってしまうことが多い。特に、買収に関するオークションが開始され、自社のライバル企業が名乗りを上げる可能性があると、その案件を逃してはいけないという心理が働く。その結果、中計に沿って事業を成長させるという本来の目的が、目の前の買収を成立させること自体にすり替わってしまうのだ。

N&Aの失敗要因②:高値掴みとDD不足

 高値掴みは、競争入札の中で「どうしても欲しい」と熱が上がり、冷静なリターン感度を失うことから生まれる。入札に勝つために多少の無理はしても、「シナジーで回収できるはず」と自らを納得させた案件の多くが、そのシナジーを実現できずに減損にと転じるケースは枚挙にいとまがない。高値で掴んだ瞬間に、案件は既に失敗している可能性が非常に高いのである。

 さらに、M&Aの検討プロセスが進むにつれて、自社のFAやデューデリジェンス(DD)を行う専門家を雇うためのコストが膨らんでいく。このコストの増大もまた、意思決定を歪める要因となる。これだけコストをかけたのだから、何としても案件をクローズさせたいという気持ちが芽生えてしまうのである。

 そのDDだが、十分に実行できないと深刻な問題を引き起こす。財務諸表の表層をなぞっただけでは、本当の経営リスクを見抜けない。人材構造やインセンティブ設計を理解せず、買収後にキーパーソンが次々と離脱する。あるいは簿外債務や訴訟リスクに後から気づき、統合コストが雪だるま式に膨らむ。DDを疎かにすれば、PMIの土台は最初から崩れていると言える。

 しかしながらオークションの競争環境下では、売り手から見てDDの範囲が少ない買い手ほど望ましいとされ、DDの時間が制限されることが多々ある。時間が限られると、どうしても精査しきれない部分が残り、それが将来的な問題を引き起こすリスクとなる。特に新興国におけるクロスボーダー案件では、相手方の情報が未整備であるケースが多く、時間の制約に関わらず、DDが十分にできない領域ができてしまうこともある。

M&Aの失敗要因③:PMIの失敗

 そして第三がPMIの失敗である。法務・財務・税務のDDは、ターゲットの事業内容を把握するM&A上の重要な作業であるが、その結果のみで対象会社を精査できたと錯覚し、売却する株主との間で案件をクローズさせてはならない。ターゲット企業の意思決定構造、キー人材の処遇やインセンティブの設計を十分に理解しないままでは、買収後の100日プランの実施は覚束ない。シナジー実現のためのKPIの作り込みは不十分となり、更には文化摩擦も長期間放置されたままとなる可能性もある。気づけば「M&Aをしたのに何も変わらない」という状況に陥って愕然とする。PMIの失敗は致命的であり、多額の減損の計上や、最悪、買収会社の清算という重大な結果を招くこともある。

 ここまで述べてきたM&Aの三つの失敗は別個のものではない。高値掴み、DD不足、PMIの失敗。これらは相互に絡み合い、一つの案件を必然的に崩壊させる。だから私は強調する。「出物を買ってはいけない」。偶然市場に出てきた案件を「安いから」「今あるから」と手を出せば、往々にして高値掴み、DD不足、PMI迷走の罠に陥る。Scheduled型M&Aとは、その逆である。買うべきを狙い、周到に準備し、戦略と整合した案件だけを選ぶ。そこにこそ勝機があるのである。


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