2025年12月5日(金)

革新するASEAN

2025年9月29日

特定地域に偏在した工業化に潜む「早すぎる脱工業化」リスク

 ただし、ベトナム経済に「早すぎる脱工業化」のリスクが潜んでいないということまでを指し示していないことには留意が必要である。開発途上国では工業化のスタートは特定の地域に集中する場合が多いが、労働力や資本(土地など)に制限がある以上、その地域だけで国全体の工業化と経済発展をけん引していくのには限界がある。したがって、国土全体で工業化が進んで行くことが、均衡的な発展の観点からは望ましい。

 即ち、国土全体で工業化が進められないことは、潜在的な「早すぎる脱工業化」のリスクを高めることになる。そこで、本稿ではさらにベトナムにおける潜在的な「早すぎる脱工業化」リスクを検証するために、国全体を6つの地域に分類して同様のパネル分析を実施した。なお、ベトナムの地方行政組織は25年7月より大規模に再編されるが、今回はデータの連続性の問題から再編前の地方行政組織で分析を進めた。

 図表3には、モデルから算出された地域別の数値についても記載している。数値がマイナスなのはSouth Eastのみであった。そのほかのRed River Delta、Northern Midlands and Mountain Areas(NMMA)、North Central and Central Coastal Areas(NCCCA)、Central Highlands, Mekong Deltaのではプラスとなった。ただし、Central Highlandsの数値は統計的に有意ではないので、本稿では参考数値の扱いとした。

 この分析結果によれば、ベトナムにおいてSouth East以外の地域では、所得水準に関わらずベンチマークであるホーチミン市よりも低い工業化率しか達成できないということになる。もちろん、上述のようにホーチミン市の工業化率は高い水準を推移しており、これよりも低いことが直ちにこれら地域の工業化が不十分だということを意味するわけではない。しかしながら、ベトナムの工業化は一部地域に大きく依存しているとみて間違いないであろう。

 本稿では、グローバル工業化を最大限活用するベトナムの成長モデルの持続性について「早すぎる脱工業化」という観点から分析してきた。その結果、現時点のベトナムにおいて「早すぎる脱工業化」リスクは顕在化していないが、地域的に不均衡な工業化が潜在的な同リスクをもたらしており、将来的に成長モデルが息切れを起こす懸念があることが示された。ベトナムの成長について考察する最後のレポートとなる次回の後編では、前編、中編の議論を踏まえて、ベトナムに強い興味と期待を持つ日本企業は今後、ベトナムのどのような点に注目しておくべきかについて総括していく。

<補論>

 ペティークラークの法則に基づけば、一国の経済の中心が農業から工業にシフトするなかで工業化率は上昇する。その後、一定水準まで発展すると工業化率はピークアウトし、経済の中心はサービス業への移っていくとされている。ただし、工業化率には人口やそのほかの様々な要素が影響を与えることから、今回の分析では、以下のようなモデルを採用した。

 この式において、manは工業化率、popは人口、ypcはひとりあたりGRP、lacはベンチマークのひとりあたりGRPに対する対象地域のひとりあたりGRPの比率、iが各省・直轄市、tが各年、fはダミー、εは誤差項を表している。

 補論図表は上記のモデルにしたがって分析した各係数の結果で、本文中の図表3はγ4について抜き出したものである。

 今回の分析において最も重要なのはlacの係数であるγ4である。今回のモデルにおいてγ4は対象地域のひとりあたりGRPがベンチマークであるホーチミン市のひとりあたりGRPに対して1単位上昇したときに、対象地域のひとりあたりGDPと工業化率の曲線が上か下のどちらにどれだけ動くかを表している。

 より簡単にいえば、仮にある年の対象地域のひとりあたりGRPがその年のホーチミン市のひとりあたりGRPと同様の水準だとしたときに、ホーチミン市の曲線と一致させるにはどのくらい対象地域の曲線をシフトさせる必要があるかを示している。したがって、γ4がマイナスであれば対象地域の曲線はホーチミン市のそれよりも元々上方に位置しており、プラスであれば逆で、「早すぎる脱工業化」のリスクが相対的に高いと判断できる。

 このモデルの優れている点はその国や国内の地域が工業化の途上にある段階でも、「早すぎる脱工業化」のリスクを判断できることにある。「早すぎる工業化」をモデル化・精緻化したのはハーバード大教授のダニ・ロドリックであるが、そのモデルでは脱工業化をした国が「早すぎる脱工業化」であるかを見極めることに主眼がおかれていた。本モデルでは脱工業化に至る前の段階においても、そのリスクを見て取れるため、各途上国の政策判断や企業の海外事業検討においてより有用であると考える。

 本モデルに関するより詳細な説明については、『Taguchi, Hiroyuki and Tsukada Yuta. 2022. Premature deindustrialization risk in Asian latecomer developing economies. Asian Economic Papers 21 (2), pp. 61-77.』や『Tsukada, Yuta. 2022. Premature Deindustrialization risk in Vietnam. Journal of Asian Business and Economic Studies. https://doi.org/10.1108/JABES-04-2022-0082』を参照されたい。

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