私生活でもものづくり
その〝生き生き〟のワケ
内田さんに、浜野製作所の本社板金工場を案内してもらった。
板物を切り、曲げ、磨く機械がズラリと並んでいる。内田さんはその全てを実際に使うことができる。
「設計者は知識があるだけではなくて、自分でつくれなければダメなんです。そうじゃないと、現場とコミュニケーションが取れませんから」
単に知識があるだけでなく、知識を使って自らつくれるようになること。内田さんは、そうすることで知識は「手の知識」に変わるのだと言った。
ちょっとかっこいい。
毎週月曜日、内田さんはパンを焼くことを習慣にしている。
「バゲットにクープ(切り込み)を入れるだけでも、学びがあります」
クープナイフという専用の道具があるが、内田さんが使うのは100円均一の店で売っているカミソリだ。角度や引き方を工夫すれば、十分にクープを入れることができるという。
内田さんの話を聞くうちに、フランスの文化人類学者、レヴィ=ストロースの『野生の思考』(大橋保夫訳、みすず書房)に出てくる言葉が思い浮かんだ。彼は、あり合わせの材料で目的を達することを「器用仕事」と呼び、設計や論理に基づいた材料を使って目的を達成することを「栽培された思考」と呼んだ。
器用仕事には創造性と機知が必要だが、栽培された思考にそれは必要ない。内田さんが並外れて生き生きしているのは、彼が仕事でも趣味でも、あらゆる場面で器用仕事を実践しているからではないだろうか。「手の知識」と『野生の思考』。内田さんは、野生の知識を持っている。
