OECDの定義を採用して、規制を推進しているのが欧州連合(EU)である。化学物質の規制を定めるREACH規則の下で実施される規制の対象が、従来のPFOA、PFOAなどの撥水・撥油剤や界面活性剤から、それ以外の社会の基盤を支える多くの分野へと拡大したのだ。
影響を受ける分野と、規制される可能性がある製品を表に示す。これらの製品がすべて規制されれば、通常の社会生活はもとより、医療も、食料生産も、産業活動もほとんどが止まってしまうことが理解できるだろう。
規制の根拠は「予防原則」
改めて、何のために規制を行うのだろうか。常識的には、規制の目的は健康被害と環境破壊の防止である。
歴史を見ると、半世紀前から、環境汚染物質による健康被害が多発した。有機水銀による水俣病、カドミウムによるイタイイタイ病、二酸化硫黄による四日市ぜんそくなどである。続いて、動物に異常を引き起こす内分泌かく乱物質(環境ホルモン)やダイオキシン類による環境汚染が懸念材料になり、厳しく規制された。
PFASの使用もまた半世紀以上前に始まったが、健康被害も生態系への影響も見られていないことは述べた。この「汚染の深刻さ」と「被害の不在」のギャップは、なぜ厳格な包括的規制が必要なのかという根源的な問いを投げかける。その答えが、「予防原則」という思想である。
「目に見える被害がない」ことは、必ずしも「リスクがない」ことを意味しないという議論がある。実際に、汚染地域住民などを対象とした疫学研究では、PFASへの曝露と、血中コレステロール値の上昇、特定のがん(腎臓がん、精巣がん)、免疫系への影響(ワクチン抗体応答の低下)、胎児の発育への影響(出生時体重の低下)などとの間に関連があることが報告されている。しかし「証拠は限定的」または「不十分」であり、因果関係が明確になったものはない。
実験動物に高濃度のPFASを投与した研究では、肝臓への影響、生殖・発生への悪影響、免疫毒性などが示されている。しかし、実験で用いられる投与量は、一般の人が環境から摂取する量よりもはるかに高く、また動物と人とでは代謝の仕組みが異なるため、これらの結果をそのまま人に当てはめることはできない。
すると出てくるのは、「将来にわたって安全である証明がない」という論理である。PFASの使用が始まってから半世紀が経過してもなお、健康被害が見当たらず、主要なPFASはすでに規制されたのだが、それでもなお「科学的な不確実性」があるという主張があり、それが「予防原則」の根拠になっている。
この議論は、かつての環境ホルモン騒動を思い出させる。放置すれば人類が絶滅するなどの極端な主張まで現れて、大きな社会問題になったが、実際の影響は野生動物にとどまり、厚生労働省は、「内分泌かく乱作用により有害な影響を受けたと確認された事例は、これまでのところ確認されていない」と述べている。現在は、一部の物質を「予防原則」に基づいて規制しているが、騒動は終了した。
PFASについても、環境省はPFOSとPFOAについて、「人の健康への影響は指摘されているものの、国内で摂取が主たる要因とみられる個人の健康被害は、現時点では確認されていない」としているが、騒動がおさまる気配はない。というより、ますます大きなっているようにも見える。
広範な環境汚染があるにもかかわらず、健康被害も環境破壊も起こさない「沈黙の化学物質」をどのように規制すべきか。PFASはそのような新たな課題を突き付けているのだ。その答えは、費用便益計算、すなわち、PFAS汚染の被害、対策の費用、対策が引き起こす新たな被害の総合的な評価だが、その結果はどうなっているのだろうか。

