昨今、人への健康被害の恐れが指摘される有機フッ素化合物(PFAS)が各地で検出されたとの報道が目立つようになり、不安が高まっている。だが、PFAS問題は今に始まったことではない。汚染を最初に告発したのは遡ること四半世紀前、米国のビロット弁護士だった。
米国東部にある化学メーカーのデュポン社の廃棄物埋め立て地近隣で牛が病気になった。農家から相談を受けたビロットは1999年にデュポン社を提訴し、同社の内部資料を入手して、廃棄物にPFASの一種であるPFOAが含まれることを見つけて和解金を獲得した。続いて、2001年にビロットは汚染地域の住民の集団訴訟を起こした。設置された科学委員会は7年間の疫学調査の後、PFOAは腎臓がんなど6つの疾患と関連する「可能性が高い」と判断し、17年に総額6億7070万ドルで和解した。この経緯は映画化され、ビロットは「デュポン社の悪夢」と呼ばれ、PFASは「恐ろしい毒」と言われるようになった。
広がるPFASの情報
メディアが伝えない実態とは
PFASはPFOAやPFOSなど数千種の総称であり、デュポン社の汚れにくいテフロン加工フライパン、3M社の水や汚れをはじくスコッチガードなど身の回りでも多く使用され、半導体の製造などにも必須である。1950年代に使用が始まり、その量は年々増加している。
PFASは環境中に長期間残留することが分かり、「永遠の化学物質」と呼ばれるようになった。「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約」でPFOAとPFOSの廃止が決まり、代替品が開発されている。日本では、16年に沖縄で残留が見つかり、環境省の調査では、河川や地下水のPFOAとPFOSが基準値50ナノグラム/リットル(以下、ng/L)を上回る地点が全国で見つかっている。米軍基地がある東京、沖縄、神奈川などで高い値が確認されているのは、空港や軍事基地で使用される泡消火剤に含まれていたPFASの残留である。
歴史の中では、環境汚染による多くの健康被害が出ている。有機水銀による水俣病、カドミウムによるイタイイタイ病などだ。それらの経緯は、最初に多くの被害者が出て、その後の調査で汚染の状況と原因物質が特定されるという順番だ。
しかし、PFAS問題はその逆で、まず汚染が分かり、次に被害者の調査が始まった。PFASは体内に残留する。米国では血液検査で国民の大部分でPFASが発見され、PFOA製造工場従業員の血中量は899マイクログラム/リットル(以下、µg/L)、工場近くの住民は228µg/L、その他の住民は1.4µg/Lと報告されている。ただし環境保護庁(EPA)は血液中に存在しても健康被害が起こるわけではないと注意喚起している。冒頭のビロットの訴訟でも、委員会が7年間の調査の結果で「可能性」を指摘しただけで確定的な結論は出ていない。1950年代に使用が始まって以来、疑いはあるものの、有機水銀やカドミウムのような明確な健康被害が明らかになっていないのだ。