2025年12月14日(日)

世界の記述

2025年11月25日

 若い筆者にも、「世界の真ん中で咲き誇れる日本の時代」の予感があった。中曽根康弘首相(在職1982~87年)は意識的に先進国首脳会議でレーガンの横に常に位置を構え、日本の存在感を世界に伝えた。

キャンプ・デービッドにてアメリカのロナルド・レーガン大統領(左)とともに歩く 中曽根康弘首相(ウィキペディアコモンズより)

 当時70年代の石油危機からまだ脱しえていない米欧は日本のリーダーシップに期待した。しかしこの中曽根外交も米国の緊密な同盟国という域をついに脱することはできなかった。世界に存在感を示すことで精いっぱいだったのだ。それがかつて「青年将校」として自主防衛外交を望んだ中曽根外交の現実であった。

 その具体的な成果は日米防衛協力強化という形で象徴的かつ形式的に引き継がれていった。冷戦後、日本の存在感をアピールすることに成功した小泉純一郎外交も安倍晋三外交も同様だった。

 しかし現実の日米同盟強化は、軍事協力強化と同義語になっていった。78年の日米防衛協力ガイドライン以後の一連の防衛協力の流れであり、今やそれは外交の「既定方針」だ。

 そしてそのことは「力による平和」への傾斜を意味した。もう忘れられたかのようにみられているが、80年代米国の日・アジア研究の第一人者、マイク・モチズキ氏(ジョージ・ワシントン大学)が指摘した言葉でいえば、「軍事的リアリズム」だ。そして同氏が主張したのは、「外交」や総合的国家戦略による政治的リアリズムだった。

外交論議を単純化するメディア

 筆者が問いたいのは日本外交の自立性だ。石破茂前首相がトランプの相互関税という米国の一方的な関税引き上げの交渉に際して、思わず口走った「舐められてたまるか」と日本外交の自立を表明した一幕を印象深く記憶している人も多いに違いない。

 米国の政権が変わるたびに、右往左往する状態は世界中どこも共通だ。それは日本だけが特別ではない。米国の顔色をうかがいながらその政策に柔軟に対応していく中で国益の活路を見出す。それは外交のリアリズムだ。

 しかしどんなに親しい同盟国でも地政学的にも歴史的・文化的にも異なった国が、全く同じ外交をできるわけではない。そこには無理がある。もはや戦後の臥薪嘗胆の時期ではない。

 そうした時の外交選択基準として、メディアは単純に「親米か反米か」「親中か反中か」という冷戦の名残のような世論形成を確信犯的に拡販する。それは日本の外交論議のリタラシーを上げることに寄与してはいない。議論の硬直性を助長するばかりだ。日本のような地政学的位置の国がいつまでも冷戦時代のイデオロギー外交の襤褸をまとった論調に踊らされているようでは、国際見識を疑われる。

 実は日本の外務当局も十分にそれは分かっている。親米と同時に米国の様子をうかがいながら、中国とのパイプを維持しようとする。メディアはそのあたりをきちんと伝えていないように思われる。流動的な現実を前にして固定的静観的な世界観の中で日本の選択肢は制約されたままだ。


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