2025年12月14日(日)

偉人の愛した一室

2025年11月29日

神様が僕に
与えてくれた場所

 遠藤は『沈黙』を執筆するに際してこの外海地区に何度も足を運んでいる。深い山間と海に沿う崖とに囲まれた地形は信仰の隠れ蓑には恰好であったが、大村藩による探索が厳しくなるにつれ、多くの信徒が海を越えて五島へと逃れていった。

 遠藤が周辺一帯にタクシーを走らせつつ、遠藤が殉教の舞台となるトモギ村のモデルとして選んだのは黒崎村だった。後年〝神様が僕のためにとっておいてくれた場所〟そう語った地で彼が目にしたのは、高台に厳かな姿で立つ黒崎教会であった。

 明治に入って禁教が解かれると、フランスから渡来したド・ロ神父によって、隣村の出津に教会が建てられた。続いて黒崎にも教会をとの声が持ち上がり、1897(明治30)年から建設に着手する。

 だが、わずかな畑地ばかりの貧しい村に余裕などなかった。3年かけて山を切り崩して敷地を確保したものの、度々資金難に見舞われた。それでも、信徒の手で一個一個レンガが積まれ、瓦屋根を乗せた赤煉瓦造りの教会が完成にこぎつけた。ド・ロ神父の死後、1920(大正9)年のことだった。

約40メートルの奥行きをもつ三廊式の堂内。ゴシック様式のリブ・ヴォールト天井が荘厳さを感じさせる一方、意匠が明るく開放的な印象を添える。晴天の光がステンドグラスを透かし、堂内を柔らかく照らしていた

 入り口前のマリア像の出迎えを受けて中に入ると、まず驚かされるのはその広さである。奥の祭壇に向けて長い身廊が延び、側廊にはステンドグラスも鮮やかな高窓が連なる。柱廊の太い柱は磨き込まれて美しい光沢を発し、リブ・ヴォールト天井を支える梁材は見事なアーチを描き出している。おそらくは教会など見たこともなかった人々の手でなされたこの建築に、どれほどの宗教的な情熱が注がれたことか。祭壇ではフランスからもたらされたキリスト像とマリア像が、高みから温かい目を注ぎかけてくる。

教会内にあるパイプオルガン。厳かな音色が三廊式の堂内にひろがることだろう
柱のモチーフとなっているのはイエス・キリストがエルサレムに入城する際、人々が道に敷いたシュロの葉

 信徒は今おおよそ200世帯、次の世代にどう信仰を伝えてゆくかが課題、そう話す本田靖彦神父の目が向けられたのは、子どもたちの祈りの出欠表だった。〝ロザリオの月〟10月と〝マリア様の月〟5月は、週5日、学校帰りに夕べの祈りを捧げるのが習わしだという。出席の赤丸が思いのほか多いことに安堵する。朝に祈り、夕べに祈り、そして寝る前にまた祈る、変わらぬ生活がいまも続いていると話す。

ステンドグラスによって色づいた光が聖堂の机を彩っていた

 「街の教会とはちょっと違います。生活の中に信仰が根付いています。その空気を遠藤さんも感じたのではないでしょうか」

 至近の場所に遠藤周作文学館がある。『沈黙』を顕彰して死後に建てられたものだが、後年のユーモア作家の姿も含めて総合的な紹介がなされている。

文学館のエントランスホールには『沈黙』の文学世界をイメージしたステンドグラスが施されている
遠藤の書斎が文学館で再現されている。机の上には愛用していた筆記用具や実際の原稿用紙が置かれる

 文学館の立つ高台からの海の眺めは絶景である。見晴るかす角力灘にオレンジの陽が落ちてゆく。こんな夕陽を見ることは、もう生涯ないだろうなと感じる。生前に建てられた「沈黙の碑」に遠藤はこんな言葉を遺している。

 「人間がこんなに哀しいのに 主よ海があまりに碧いのです」

大角力(おおずもう)や小角力(こずもう)といった島々が浮かぶ角力灘に沈む美しい夕陽(画像提供:遠藤周作文学館)
文学館のエントランスをくぐった先で思わず息をのんだ一面に広がる空と海
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令和の京都地図 古くて新しい都のデザイン
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