2025年12月16日(火)

「永田町政治」を考える

2025年12月1日

内政に影落とす外交の混乱

 外交問題は過去、内政にも影を落としてきた。最近の例では、トランプ政権との間で行われた関税交渉だ。

 困難な交渉だっただけに一時難航も伝えられ、立憲民主党の野田代表は、参院選のさなか、公然と日本側代表の赤沢亮正経済再生相(当時、現経産相)の更迭を要求した。交渉途中で首席代表が信頼を失うことがどんな意味を持つか首相経験者が知らぬはずがない。その後の展開に影響を与えた可能性も否定できないだろう。

 古いところでは、1969(昭和44)年11月、佐藤栄作首相とニクソン大統領(いずれも当時)が沖縄返還で合意した日米首脳会談での共同声明に、「台湾の安全は日本にとって重要な要素」「朝鮮半島の安全は日本にとって緊要」と謳われた。「台湾・韓国条項」といわれる条文だが、冷戦が激しかった当時、革新勢力から格好の標的にされた。

佐藤栄作首相(左)とニクソン大統領の間でも、内政への影響が出た(Bob Moore, Public domain, via Wikimedia Commons)

 1981(昭和56)年の共同声明事件は今でも語り草だ。この年5月にワシントンで鈴木善幸首相(当時、鈴木俊一自民党幹事長の父)とレーガン大統領(同)との間で行われた首脳会談で、日米の「同盟」という表現が盛り込まれたが、会談後の記者会見であろうことか、鈴木首相は「『同盟』に軍事的な意味合いはない」と説明、周囲を驚かせた。

 各国を刺激するのを避けたのか、「同盟」という表現になじみがなかったからだけなのか判然としないが、米側に強い疑念を抱かせ、日本国内では首相官邸と外務省の深刻な対立に発展。当時の伊藤正義外相が辞表をたたきつける騒ぎに発展した。

今や与野党一致団結の時

 今回の日中両国の軋轢は、解消、解決への糸口が見通せず、長期化するという悲観的な見方が少なくない。うっかりか、確信犯かはともかく、首相自らがまいた種であることははっきりしているが、いま日本がすべきことは、官民および与野党が一致結束して、中国の不当な圧力に対抗することだろう。 

 首相の責任追及はそれからでも遅くはない。

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