2025年12月16日(火)

勝負の分かれ目

2025年12月2日

 物理的なプレースピードだけでなく、強者のプレッシャーを受け続けてきた者にしか持てない試合の読み、冷静さ、判断力。彼の広い視野がチームに安定をもたらし、国際舞台での戦いを可能にした。

 キュラソーの“裏テーマ”は移民とルーツの活用である。オランダ領であった歴史の中で、多くの選手が欧州へ移住し、彼らが自らのルーツをたどって代表でプレーする流れが生まれた。タヒス・チョン、ケンジ・ゴレ、バクナ兄弟など欧州育ちの選手たちが、島国の代表チームに技術、経験、文化を持ち帰る。この循環こそ、サッカーの地政学の妙味だ。

 ある意味、人口規模の小ささはむしろ武器となる。移民ネットワークの密度が高く、海外経験者が“国を背負う誇り”を選ぶ可能性が高いのだ。少数精鋭で戦うチームは強固な結束力を生み、科学的トレーニングと欧州式の選手教育が文化として浸透する。

名将の指揮の下で最終予選を無敗で通過

 現在、キュラソーは世界における強さの指標となるFIFAランキングの82位となっている。15年12月の同ランキングで151位だったことを考えれば、この10年間でいかに劇的な成長を遂げたかが一目瞭然だ。北中米カリブ海(CONCACAFと呼ばれる)の予選B組を無敗の首位で突破した。

 キュラソーを躍進に導いたのが、オランダ人のディック・アドフォカート監督。94年アメリカW杯でオランダ代表を率い、世界最高峰のクラブや代表で指揮を執ってきた名将が、32年ぶりに同じアメリカに舞い戻る。だが今度は“サッカー弱者の側”から世界に挑む。「経験」という最大の資源が、小さな島に注ぎ込まれた。

 アドフォカートは守備組織の整備と攻撃のトランジション(攻守の切り替え)に徹底してこだわり、試合をコントロールするチームへと作り替えた。キュラソーは二次予選でバルバドス、アルバ、セントルシア、そしてハイチに勝利。最終予選ではカリブ海の強国であるジャマイカやトリニダード・トバゴと同組に入りながらも、無敗で首位に立った。

 最終節のジャマイカ戦はアウェーのキングストンで引き分け以上が必須という極限状態を0-0のスコアレスドローで凌ぎ、W杯の出場権を手にした。キュラソーが18年ロシアW杯のアイスランドをさらに下回る、史上最少人口の出場国となった瞬間だった。

社会不安を乗り越え出場枠を得たハイチ

 国内のサッカー強化に加えて、ディアスポラ(移民コミュニティ)と呼ばれる欧州のコミュニティで育った選手の代表招集、そして優秀な指導者の招聘。この構造はキュラソーに限った話ではない。

 同じく北中米カリブ海のハイチは、13大会ぶりにW杯出場を決めた。深刻な社会不安と政治危機、そして自然災害に幾度も襲われた国でさえ、サッカーは希望の旗印となった。欧州の複数国籍制度をうまく活用し、フランスやベルギーで育った、ハイチにルーツを持つ選手が祖国のために集い、戦った。

ハイチで2010年に起きた大地震。災害を乗り越え、W杯出場を得た(Leah Gordon/gettyimages)

 キャプテンでもあるGKのジョニー・プラシドはフランスのパリ郊外にあるモンフェルメイユで生まれ、選手の育成に定評のあるル・アーヴルの下部組織で技術を磨いた。その後、スタッド・ランスの守護神としてリーグアン(フランス1部)で活躍した実績もある。


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