こうした全体的な力学の中で、西側流の近代化は押しのけられ、「ロシアの反西側・反自由主義的姿勢、国家の偉大さ、そしてロシア・ソ連の国家指導者の永遠の無謬性」を強調する復讐主義的な教義が優先された。
プーチンと彼が築き上げた政治体制が成熟するにつれ、ロシアの世界観はより硬直化し、同時に陰謀や救世主的な運命感覚に陥りやすくなった。クレムリンによれば、西側諸国がロシアの価値観を裏切った結果、ロシアだけが世界舞台に残された真の、誠実で、高潔な勢力となった。ロシアは「秩序の守護者であり回復者」として主権と軍事力を行使する神聖な使命を持つことになった。
しかしながら、プーチンやその統治体制が全能であることを意味するわけではない。ラリュエル氏はプーチン大統領の統治を「統合された個人崇拝的権威主義」と表現した。
これは、完全な全体主義とは異なる独裁政治の一形態である。多くのロシア人は「戦争に巻き込まれる」ことを望まず、戦闘を民間経済や文化圏から切り離しておきたいと考えているが、それがプーチン体制の利点だ。必要なのは熱意ではなく、黙認なのだ。
ロシアの戦争はいずれ終結するだろう。しかし、ラリュエルは、それがロシアを第二のペレストロイカ、すなわち自由主義思想の新たな隆盛へと導くかどうかについて、当然ながら悲観的である。
エリート層を含む社会全体において、西側を模範とするロマンチックな政治理念は消え去り、容易に復活することはできない。多くのロシア人にとって、西側諸国は本質的に反ロシアであり、ロシアを攻撃しようとしているのだ。
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プーチンが利用する歴史観や国家観
ウクライナ侵攻の正当性を語る時に限らず、プーチンはしばしばロシアの歴史観、国家観に言及するが、これには三つの要素が含まれている。
第一は反グローバリズム、反リベラリズム、反ユーロピアニズムなどの政治思想。第二は半ば宗教的色彩を帯びたロシアメシアニズム。ロシアは道徳的に優れており、西欧にはない倫理観と「魂」をもって、退廃した西欧文明に代わって世界秩序の守護者になるとする考え方。そして第三は、ロシアが歴史的に常に侵略を受けてきたとする被害者意識、あるいは西側に裏切られてきたとする復讐主義である。
ロシアを理解する上で最も重要なことの一つは、このような歴史観、国家観はプーチンの創作でもなければ政権側が国民に力で押し付けているのでもなく、もともとロシア社会に見られるもので、プーチンはそれを利用してきたに過ぎないということだ。その意味でこれはプーチンとロシア国民の「相互作用」の産物であるとも言える。これが上記論文の最大のポイントであり、全面的に賛同できる。
