2025年12月9日(火)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2025年12月9日

 プーチンはスピーチなどでドストエフスキーに言及することが少なくない。ドストエフスキーはいわゆる汎スラブ主義の代表的人物とされており、合理主義、個人主義など西欧起源のイデオロギーではなく、ロシア国家はロシア正教に基礎をおく固有の精神的価値(ロシアの「魂」)を中核とすべきと説き、当時のロシアに見られた西欧主義的革命思想を鋭く批判した。

 プーチンが展開する歴史観や国家観は、何百年にもわたってロシアで繰り広げられてきた西欧主義と汎スラブ主義の対立の中で、明確に後者の立場に立つものであり、これを強く支持するロシアの知識人が存在する。プーチンは独自の言説を展開している訳ではないのである。

イデオロギーが変わる可能性も

 ただし、プーチンと国民との間の「相互作用」によって形成されてきたこの強固なイデオロギーが、今後も絶対に変わらないと見ることには慎重であるべきだろう。

 第一に、上記に述べたように、ロシア史においては西欧主義と汎スラブ主義の対立が繰り返されてきた。西欧主義のイデオロギーに立脚したソ連邦が崩壊したあと、汎スラブ主義のイデオロギーが復活して今日に至っているが、振り子が再び逆方向に振ることがあり得ないとは言い切れない。西欧主義の立場に立つ者たちは確かにプーチンによって排除されてきたが、ロシアの政治思想空間から消え去った訳ではないと考えられる。

 第二に、ウクライナ戦争との関係で言えば、プーチンとロシア国民との「相互作用」の産物としてのイデオロギーに「ウクライナはロシアの一部」との発想が含まれているとしても、そのことはこの戦争にロシア国民が喜んで参加することを意味しない。多くのロシア人にとって、ウクライナが外国であることに違和感があるのは事実であるが、だからといって、皆が武力によって統合すべきとまで考えている訳ではない。その意味でやはりこの戦争は「プーチンの戦争」なのである。

 そして第三に、圧倒的多数の国民にとって最も重要なのはイデオロギーではなく、自分と家族の命であり日々の暮らしである。ロシア革命前のロシアやソ連邦末期のように、一般民衆の生命や生活そのものに訪れる危機が、大きな変革の契機となる可能性はある。プーチンがこのまま戦争経済を継続すれば、ただちにではないがいずれは財政が破綻し、国民生活を圧迫していくことは確実であり、その緊張の糸が切れるときがくる可能性は念頭においておく必要があろう。

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