石油の国ベネズエラ
ベネズエラで石油が発見されたのは、1900年代前半だ。石油生産開始後の第二次世界大戦前後には、米国、旧ソ連に次ぐ世界3位の産油国になった。
50年代半ばから中東での石油生産が本格化したことから、60年、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビアの中東産油国と共同で石油輸出国機構(OPEC)を設立した。
当時セブンシスターズと呼ばれていたエクソン、シェブロン、英国石油(BP)などの欧米の石油メジャーが世界の石油生産と価格を独占的にコントロールしていたが、OPECは、産油国が主導権を握ることを目的とし生産の国有化を進めた。
73年には、第4次中東戦争を契機に出荷量の抑制と価格の引き上げが行われ、72年に1バレル当たり平均1.90ドルだったドバイ原油のスポット価格は、74年には10.41ドルまで上昇した。
ベネズエラは76年に国営の石油・天然ガス会社ペトロレオス・デ・ベネズエラ(PDVSA)を設立し、石油産業を国有化したが、国際石油メジャーとの協調の下、石油生産が継続された。
第一次オイルショック後高値で推移していた石油価格は、80年代後半から90年代にかけ、OPECの生産調整の不調もあり低迷した。
石油収入に依存していたベネズエラ経済も不振に陥る中、国民の不満を吸収する形で92年にクーデター未遂を引き起こした軍将校のウゴ・チャベスが99年に大統領に就任した。
チャベス大統領は反米路線を掲げロシア、中国、キューバなどとの関係を深めたが、チャベス大統領就任後も米国の石油メジャーはベネズエラで操業を続けた。
2006年から07年にかけ、チャベス大統領はベネズエラで操業する全外国石油会社に対し、PDVSAが少なくとも60%を持つ合弁事業体への事業の譲渡を迫った。
米石油大手ではエクソンモービル、コノコフィリップスは拒否し撤退を余儀なくされ、資産は国有化された。シェブロンは条件を受け入れ少数権益保有者として残り、今も操業している。
チャベス時代には、多くの技術者らがPDVSAを去り、90年代後半に日量300万バレルを超えていたベネズエラの原油生産量は、米国の制裁もあり、2010年代後半から大きく減少し始める(図-1)。
13年にチャベス大統領の後を継いだニコラス・マドゥロ大統領は、生産の落ち込みと原油価格の下落による収入減を補うため通貨を増刷し大きなインフレを招いた。経済は一段と疲弊し治安は悪化した。

