「顔の見えるアジア人」へ
日本人がやるべき種まき
多民族国家であることのつよみは、諸国民の多様な感覚群がアメリカ国内において幾層もの濾過装置を経てゆくことである。そこで認められた価値が、そのまま多民族の地球上に普及することができる。(中略)流行で考えればいい。たとえば、ジャズはアメリカで市民権を得たからこそ世界へ普及できたのである。文明というのはそういう装置をもっている。(司馬遼太郎『アメリカ素描』新潮文庫、第一部:「多様な文化群と文明の活性」より、ウェッジ編集部が抜粋)(KODANSHA/AFLO)
そんな米国社会の中で、アジア人は「顔の見えない存在」「永遠の外国人」と言われ、私自身も様々な場面で差別を受けてきた。人口的に見ても米国ではアジア人は少数民族ではない。だが、社会の物事を決める重要な政治の場などでは、アジア人の意見はほとんど反映されない。「顔の見えるアジア人」になるには、大リーグの大谷翔平選手のように米国社会でその存在が認められなければならない。その意味で大谷選手の存在感はとてつもなく大きい。平等を重んじる日本人には理解しにくいことかもしれないが、アジア人である日本人が米国社会で成功し、認められるためには、「のし上がる」覚悟とたゆまぬ努力が必要なのだ。
私は06年、クリーブランドで医療機器開発・製造会社のQEDを創業した。手前味噌ながら、起業後の12年には、米国人の雇用増と輸出に貢献したことが認められ、当時のオバマ大統領の一般教書演説で、大統領夫人貴賓席に日本人として初めて招待されたほか、18年には初代在クリーブランド日本国名誉領事にも任命された。また、オハイオ州立大学(OSU)の理事を経て、22年には理事長になり、学長を決める権限のある指名委員会の委員長も務めた。
光栄なことに、OSUの理事および理事長に就任したのは、アジア人として私が初めてである。つまり、「顔の見えないアジア人」だとしても、たゆまぬ努力と信頼の積み重ねによって、日本人でも認められるという土壌が米国社会には確かに存在しているのである。これは、将来においても不変であろう。
こうした前提に立ち、政府間・政治家レベルは言うまでもなく、民間同士の「草の根交流」を行い、種をまき続けることが、相互理解の基盤として極めて重要である。
その一環として現在、日米共同による「医療外交」構想を進めている。具体的には、日本の空の玄関口・東京国際(羽田)空港旅客ターミナル内に、OSUと日本の徳洲会が連携して日本医療国際化プラットフォームを27年度中に開設すべく、準備を進めている。さらに徳洲会が運営する湘南鎌倉総合病院と連携し、日米の医師間の医療研修などで協力することも視野に入れている。
構想実現に向け、両国の医療事情を知る私の責務として、その橋渡し役を担うべく、ほぼ毎月、両国を行き来している。こうした医療外交以外にも、日米共同で人類の進歩のために協力できる分野はあるはずだ。
米国は今、歴史の分水嶺に立たされている。だが、試練を乗り越えることこそが米国の使命である。それは、人類の未来や希望にも直結する。困難に立ち向かう米国にとって、日本がこれからも扇の要として必要とされる存在となり、日米関係を強化し、共に試練を乗り越えるという揺るぎない信念を持つことが、今こそ求められているのではないか。
