トランプ外交にどう対応していくか
その意識は特に冷戦終結後の勝利者としての米国の国際意識には歴然としている。「優越性(プライマシー)」の意識だ。
だとすれば、欧州はじめ同盟諸国と世界にとって、その「優越性」はどのような形で表現されるのか、それにどのように対応していくのか。筆者はすでに四半世紀前(イラク戦争時)の米国外交の中にその継続性の予兆と対応の模索を主張したが(拙書『ポスト帝国』駿河台出版2006年、『米欧同盟の協調と対立』有斐閣2008年、『アメリカとヨーロッパ』中公新書2018年)、ともすれば、こうした「優越意識」は単独行動になりやすい。しかもそれは表向きの先進国の啓蒙主義の衣をかぶった利己的行動となりやすい。
トランプ大統領時代それは露骨だ。それをどのようにして多国間主義の枠組みの中で抑制していくのか。論点はそれに尽きる。賢人政治と暴政は紙一重だ。
約四半世紀前にGWブッシュ大統領が仕掛けたイラク戦争で世界は二つに割れた。当時米国の単独行動主義が大きく論じられたが、日本では「主戦か、反戦か」「親米か反米か」、どちらが国益に利するかという世界観を前提にしない狭い視野の議論が主流となった。そして今でもこの狭い枠組みでの議論が論壇の主流だ。
問いは、日米同盟の枠組みの中だけの世界秩序ではなく、地球規模の広い国際秩序の中での日本外交を位置づけ、多国間主義の枠組みでいかにトランプの突出を抑制していくのか。それは中国やロシアに対する外交についても同じことが言える。
「力による外交」に対して「力」で対抗することは分かりやすい。しかしその結果は人類の愚かさの帰結である累々たる屍の山でしかない。
求められているのは自己利益のための「ディール」ではなく、普遍的利益のための「真の対話」だ。それはどこまでも理想である。しかし私たちがどんなことがあっても諦めていくことなく、追求していかなくてはならない目標だ。それがデモクラシーなのだと筆者は思う。
永遠の挑戦だ。しかしそれが難しい。悲劇はそこにある。われわれの心の闇にある。
