「このあたりは一面雑木林で、まずは木の根を掘り起こし、根っこの土を落として、焼く……。来る日も来る日も家族総出で開墾に明け暮れ、気づけば3年の歳月が過ぎていました。当時、食料増産が国策であったため、『なぜ、果樹なのか』とお叱りを受けましたが、結果的に苦労した成果が実を結びました」
ただ、仲田さんは「満州からの引揚者」というだけで疎外されるため、満州移民としての過去を誰にも語らなかった。それは結婚後も続き、妻にも子どもたちにも話さなかった。
そんな仲田さんに転機が訪れる。2017年に訪中したのだ。
「語り部を務めてほしいと依頼を受け、空想で語るわけにはいかないと思い、水曲柳開拓団があった現地を再訪しました。その時、新聞社やテレビ局の取材を受け、生まれて初めて満州での体験を語ったのです。話を聞いた子どもや孫は、『おじいちゃんが生きていなければ、私たちは存在しなかったんだね』と言ってくれました。隣で聞いていた妻は涙を流していましたね」
仲田さんにとって、語れない過去から、語れる過去へと変化していった満蒙開拓。だが、昨今の不穏な時代状況には強い懸念を抱いている。
「戦争は勝っても負けてもやってはいけない。人を殺せば殺人罪に問われるのに、戦争は10人、100人殺せば英雄になる。どう考えてもおかしなこと。人殺しの武器ではなく、話し合いで平和を構築することが人間のやるべきことです」
「被害」と「加害」を伝える
満蒙開拓平和記念館
松川町と同じく、下伊那郡に位置する阿智村は、「日本一の星空」と称される澄んだ夜空や、昼神温泉が旅人を迎える静かな山村である。
その阿智村に日本で唯一、満蒙開拓の歴史の記憶を伝える場がある。
満蒙開拓平和記念館。ここは栄美さん、仲田さんが語り部として体験を語る場でもある。近くには、中国残留孤児の帰国者支援に尽力し、「残留孤児の父」と称された山本慈昭が住職を務めた長岳寺がある。館長の寺沢秀文さん(72歳)は言う。
「引揚者の高齢化が進み、生の声を伝えていけるギリギリの時期に入っています。一人でも多くの方に満蒙開拓の史実を知ってもらいたいという思いから、記念館を開館しました。満蒙開拓という『負の遺産』を『正の遺産』へと置き換えていく叡智が私たちに求められています」
寺沢さんの両親も開拓団として満州へ渡り、父親は戦後3年間のシベリア抑留を強いられた。母親は先に帰国し、仲田さん一家と同じように戦後開拓に従事しながら、父親の帰還をひたすら待ち続けた。両親の背中を見て育った寺沢さんは、満蒙開拓の歴史を後世に伝える場をつくろうと決意する。資金集めや場所探しに奔走し、阿智村長から村有地の提供を受け、13年に満蒙開拓平和記念館を開館させた。
これまでに来館者は26万人を超え、17年11月17日には当時の天皇・皇后両陛下(現在の上皇・上皇后)も来館されている。館内には、当時の写真や生活道具、手記、証言映像などが展示され、開拓団が抱いた希望と、その裏側にあった過酷な現実が交差し、来館者の足を止める。
同館・事務局長の三沢亜紀さん(59歳)はこう話す。
「日本人の被害だけでなく、加害の歴史にも目を向け、全体のバランスを保つ展示を心がけています。時代が変化する中、来館者にどのような情報を届け、どのような問いを投げかけるべきなのか、その答えを探りながら、これからも満蒙開拓の歴史を伝え続けてきたい」
