2026年2月20日(金)

酷似する 「戦間期」と現代

2026年2月20日

 「当初開拓は未墾地に限るとしていましたが、先住民の既墾地に広がり、強制買い上げや収奪などに変化していきました。石原や東宮は、これに断固抗議しています。その結果、石原は左遷され、東宮も満州を追われるように帰国しました。もはや、この頃から満州国に彼らの居場所はなくなっていたといえるでしょう」

 その後、石原が戦線不拡大方針を主張した日中戦争は上海に飛び火し、東宮は前線部隊の大隊長として出征を命じられ、37年11月、壮絶な最期を遂げる。それは「当時の関東軍に対する〝抗議の自死〟だったのではないか」と春生さんは分析する。

東宮鐵男(東宮春生さん提供)。加藤完治と東宮鐵男が描いた満蒙開拓の夢はついえた……

 14年に始めた研究会は昨年10月、150回を迎え、現在も継続中だ。これまでに延べ4200人以上が参加し、今もなお、様々なネットワークが広がっている。「新しいつながり、新しい歴史を発掘する場として、これからもこの研究会を発展させていきたい」と春生さんは意気込む。

 「昭和の軍人=悪人」で語られがちだが、春生さんを突き動かしているのは、東宮鐵男という人物の実像を解明したい、知ってもらいたいという強い思いなのだろう。

歴史を残すのも
時代をつくるのも人

 再び、引揚者の栄美さんのことに話に戻そう。栄美さんは取材中、「大勢の人に話を聞いてもらうのもいいんですが、私は、全部を受け止めてくれる人に話したいし、そういう人に会いたいんです!」と表情を引き締め、力強く語る場面があった。私には、その瞬間が忘れられない。

 この思いは仲田さんにも共通しているはずだ。そして何より印象的だったのは、あれほど恐ろしい体験をした2人が、そろって「満州は好きだった」と口にしたことだ。2人の胸に去来していたものは何だったのか。それは、恐怖だけでは語り尽くせない、大自然が広がる満州への愛着、そこで出会った人々への思い、そして自分が生きて帰ることができた、あるいは「満州に生かされた」という思いがあるのかもしれない。

 フィリピンで終戦を迎え、捕虜になった評論家の山本七平は『日本人の人生観』(講談社学術文庫)の中で、終戦後に教科書を墨で塗ったことについて、「歴史というものはそれを絶対にしてはならない」として、こう述べている。

 「あるものをそのままにしておく。そのあとに、ただしこの点はここがまちがっていると、そういう注釈を書いていくことがじつは人間が過去を正確に知る方法であります」

 「六十年後、百年後と次々に注釈をつづけて行く。こうやっていきますと、人間というのははじめて自分の過去というものを正確につかむことができまして、同時にこれの延長線上に自分の未来を予測することができるわけです」

 埋もれた歴史を掘り起こし、様々な証言を多角的に検証すること、これこそが重要なのだろう。山本七平の慧眼を忘れてはならない。

 また、歴史を見つめ直す時、しばしば思い起こされるのが「人は時代の申し子」という言葉である。だとすれば、時代もまた人の申し子なのではないか。歴史を残し、時代をつくるのは、ほかならぬ人間だからである。なぜ誤った国策が生まれ、なぜあの戦争に突き進んだのか─。これらを解明し、教訓として次世代に引き継いでいくことは、私たちの責務であり、その営みを真摯に続けていくことこそ、戦争や満蒙開拓で犠牲となった人々への鎮魂の一助となりうるのではないか。

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Wedge 2026年3月号より
酷似する「戦間期」と現代 第三次世界大戦を防げ
酷似する「戦間期」と現代 第三次世界大戦を防げ

「新しい戦前になるんじゃないですかね」─。今から4年前、テレビ朝日の『徹子の部屋』でタモリさんが口にした言葉だ。 どのような意図で発言したのかはわからない。ただ、コロナ禍だった当時、全体主義体制を称揚するような空気が漂い、議会制民主主義の危機も顕在化し、「1930年代」に時代が近づきつつあると感じていた私は、その言葉に妙な〝重み〟を覚えずにはいられなかった。 昨今の様々な出来事を見るにつけ、その感覚は確信へと変わった。時代は、当時の「戦間期」を思わせる局面に入り、大国指導者が世界の行方、人類の運命を左右する時代になったのである。このままでは、最悪の場合、第三次世界大戦が起こる可能性も否定できない。 ただ、もし戦争になったとしても、大国指導者たちが戦場に行くことはない。いつも犠牲になるのは、市井の人々である。 英国を代表する歴史家、A・J・Pテイラーは、『ウォー・ロード 戦争の指導者たち』(新評論)最終章で日本のことを取り上げ、こう指摘している。「日本は戦争の指導者はただの一人もいなかった」 つまり、指導者不在のまま、日中戦争、太平洋戦争へと突き進み、日本は破滅したのである。当時、大衆も熱狂し、政治はそれに流された面もある。 一度始まった戦争を終わらせることは容易ではない。それは4年が経過したロシア・ウクライナ戦争を見れば明らかである。動乱の時代、今こそ歴史に学び、教訓、希望を見出し、この危機から「脱出」する必要がある。


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