ひとえに日本の地方の衰退を憂えてのことだった。過去に裏切りにあって、全てを捨てて1983年から7年半も全国行脚を行った。その後も折に触れて地方の隅々まで歩き、また街頭で坐禅を組んできた。
昨年は、能登半島の被災地を発して東京まで行脚している。野宿を続け、出会う人々と対話を重ねつつの2か月だった。
年齢を考えると驚異的だ。今も山を歩く足どりは軽い。しかし、地方をつぶさに見たことから訴えるのは、衰退する地方の抜本的救済と官僚、政治家の腐敗からの決別だ。
幾度か地域起こし事業を企てるが上手く行かず、「政治は頼れない」と自らできる方法として考えたのが、「森のお墓」だった。荒廃する森林を目にし、お墓の継承ができないという人々の声を聞いて思いついた。
行脚を通して受けた布施で山を購入し、保全するとともに墓地を作る。その墓の永代使用料を元に山を手入れする計画だ。すでに21ヘクタールの森林を手に入れ永年保全を宣言したほか、「森のお墓・いのちの森」エリアも設定した。
森を守るため「自然に還る」
ここで「森のお墓」というのは、形式的には散骨(自然葬)に当たる。火葬された骨を砕いて木の骨壺に詰めて、森の中に置くというものだ。
樹木を墓標とする点は樹木葬にも似ているが、遺骨を埋葬するわけではないから、墓地埋葬法(墓埋法)の範疇に入らない。91年に厚生省(当時)は「自然葬を禁じる規定はない」、法務省も「節度を持って行われる限り問題はない」という見解を取っている。「森のお墓」設置時にも厚生労働省や文部科学省、林野庁、そして三重県、大台町と協議を重ねて了解をとっている。
実際にその墓地エリアを訪ねてみると、急傾斜に林立するスギの幹に契約者の名前が入り、その根元に骨壺が置かれていた。もっとも石が積まれ、骨壺は苔に覆われているので森に溶け込んでいた。すでに約30家族が生前契約しており、そのうち12人が遺骨を納めているそうだ。
