2026年3月31日(火)

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2026年3月31日

かつてはすき焼きにも、長い奈良とシカの歴史

 まず奈良のシカとは、1000年以上前から奈良市一円に住みつくシカのこと。春日大社を創建する際に建御雷命(たけみかづちのみこと)が栃木県の鹿島神宮から遷る際に白鹿に乗ってきたという伝説があり、神聖な存在とされた。そのため傷つけると厳罰に処されたため、シカは町の中でも平気に闊歩するようになる。

 一方で落語の『鹿政談』のように誤って奈良のシカを殺してしまったら打ち首、などという話も広がった。ただ厳罰されたのは中世の話で、江戸時代は緩んでいた。

 また神鹿とされたのは、平安時代になってからである。奈良時代はシカも狩りの対象だった。

 明治時代になると、奈良県令(知事)として赴任した四条隆平は、神鹿など迷信だと春日山でシカ狩りを行い、仕留めたシカをすき焼きにして食べてしまう。シカに馬車を牽かせ県庁に出勤したともいう。さらに牧畜場を建設して700頭あまりのシカを追い込んだところ、大半が餓死して38頭まで減ってしまった。トンデモ知事である。

 幸い四条県令は1年ほどで転勤になり、その後は春日大社が神鹿を「飼育」して、数を増やそうと努力した。市民による春日神鹿保護会も結成されて、奈良のシカは順調に数を回復させた。1920年代までは飼育場が残されていたという。ところが台風で柵が破れて逃げ出し、再び奈良公園全域に生息域が広がったようだ。

 太平洋戦争中は密猟が横行してまた数を減らすが、戦後は保護が進む。57年に国の天然記念物に指定された。その際の奈良のシカの定義は、(旧)奈良市内に生息することとした。具体的には奈良公園や春日山原始林周辺とされている。

 つまり地域限定の天然記念物だから、一歩出たシカは指定から外れるのだ。現在は、山林と市街地の保護地区に加えてバッファーゾーンと駆除可能な域外の管理地区の4区分している。バッファーゾーンも実質的に保護されることになる。

奈良女大構内(筆者撮影)

 保護というのは、単にシカに危害を加えないだけでない。戦後誕生した奈良の鹿愛護会によって、24時間体制で怪我や病にかかったシカを治療している。また人とトラブルを起こさないよう妊娠したシカを出産まで隔離するほか、オスジカの角を秋に切り落とす。ただし餌は、観光用の鹿せんべいを除くと与えない。だから野生だとする。


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