ソ連はハンガリーの労働者蜂起を鎮圧しながら、労働者階級を解放していると主張した。米国はベトナムを荒廃させながら、自由を守っていると主張した。
冷戦終結後、偽善はさらに加速した。1999年、北大西洋条約機構(NATO)は、当時セルビアの半自治州であったコソボに、緊急の人道的必要性を理由に軍事介入したが、ほとんどの評論家は、他国の主権領域内への介入には法的根拠がないという点で一致していた。その後も米国指導部による偽善は続いた。
(国際法を信じる振りさえしなくなった時、国際法は死滅する)
道徳的に正しい法制度は、ある程度の悪徳には耐えられる。しかし、偽善が蔓延し常態化すると法は正当性を失い、行為者は偽善的な振る舞いさえしなくなる。国家が国際法を信じる振りさえしなくなった時、国際法は死滅する。
しかし、その終焉を祝うのは間違いだろう。たとえ偏っていたとしても、国際法は、無秩序な世界において紛争を解決し、予測不可能性を低減するためのメカニズムを提供してきた。国際法は、予測不可能性を低減する焦点を提供し、国家の行動をより明確にし、危機をより制御しやすくした。
国際法の衰退は道徳的な損失ではなく、構造的な大惨事である。そしてそれは、私たちが直面する集団行動の問題が、今失われつつある調整メカニズムを緊急に必要としているまさにその時に起こっているのだ。
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力だけで秩序は維持されない
論説の著者のブルックスによれば、今日の状況は、トランプやプーチン、習近平に代表されるように、単に国際法が遵守されなくなっただけではなく、「振り」をする形での「敬意」さえ払われなくなっており、それは国際法の背後にある「道徳規範」に対する「敬意」の喪失を意味する。これこそが今日の国際秩序に対する最も深刻な危機であるとするもので、かなり単純化されているが、その中核となる主張には全面的に賛同する。
ただし異論もある。特に、「国際法の終焉(=道徳の終焉)」という今日の事態が、国際法の「支持者」を自認する多くの人々の長きにわたる恣意的解釈あるいはダブルスタンダードによる運用の結果、形成されてきたものであって、トランプやプーチンなどは単に「とどめを刺した」に過ぎない、という部分だ。
確かにこれまでも国際法は、「正義」や「人権擁護」といった美名のもとに侵略行為などを正当化する道具として使われることが少なくなかったし、かつ人々はそのような「偽善」をシステムに内在するものとして結果的に受け入れてきたとも言える。しかしながら、このような行為の積み重ねの単純な延長上に、今日のトランプやプーチンなどの「とどめを刺す」行為があるのではない。国際法を遵守する「振り」をすることと、これを全く無視することとの間には、質的な隔たりがある。
