「国境の南」台湾人が憧れ続けた、遠くて近い土地
屏東には「国境の南」という呼び名がある。2008年に台湾で空前の大ヒットを記録した映画「海角七号」の舞台が屏東・恒春であり、主題歌のタイトルがそのまま地名のイメージになった。「未知」「神秘」「夢」そんな言葉が重なるこの場所は、台湾人にとって「いつか行きたい憧れの地」であり続けてきた。
かつては遠さがネックだったが、台湾新幹線の開通により台北から高雄(左営)まで約90分、そこから在来線に乗り継げば30分で屏東市に到達できる。さらに数年後には新幹線の屏東延伸も決定しており、物理的な距離はますます縮まっている。「屏東進化(進化する屏東)」「台湾的万花筒(台湾の万華鏡)」そう呼ばれるようになった屏東の変化は、今まさに加速している。
日台関係の「原点」がここにある 150年前の歴史と現在
2024年は、日本が台湾に軍隊を派遣した「台湾出兵」から150周年にあたる。その発端となった「牡丹社事件」の舞台が、屏東の車城郷・射寮だ。1874年、明治政府の軍隊はまさにこの地から上陸した。日本の台湾領有の原点とも言えるこの出来事は、今も屏東の廟や史跡にその痕跡を残している。
屏東市から鉄道で約1時間の射寮近くには「東龍宮」という廟がある。一見、普通の台湾の廟に見えるが、入口横には鳥居があり、菊花紋章が入った幕が掛けられている。祭神の一体は、征台の役で命を落とした日本人軍人・軍属だという。台湾の廟に日本的な要素が不思議と溶け込んでいる。そのコントラストが、この土地の複雑な歴史を静かに物語っている。
日本統治時代には南方進出の拠点として多くの日本人が暮らし、当時の住居や施設が今も観光施設や文化拠点として生まれ変わっている。屏東市内の「大和ホテル」もその一つ。戦後、長らく別の用途に使われていたが、2014年に屏東県の歴史建築として登録され、大規模なリノベーションを経て宿泊施設として復活した。
