「モリスは人材を重視した」
TSMC元副社長
陳 健邦氏
私がTSMCに入社したのは1987年。それから2005年まで働いた。その後もTSMCの社会貢献の財団などで仕事をしてきた。入社当初は工場、次はリスク管理と材料の買い付けを担当した。入社前は台湾の政府系シンクタンク「工業技術研究院(ITRI)」のラボで微細半導体技術の研究をしていた。1986年にITRIのスピンオフ企業としてTSMCが発足することになり、ラボの生産ラインをTSMCが借用したこともあり、自然にTSMCに入社する形だった。TSMCでは最古参の一人だろう。
創業者の張忠謀(モリス・チャン)はITRIの理事長も兼任していて、94年にTSMCが上場した時、モリスはITRIから離れた。最初、工場の生産効率はそこまで高くなかったが、当時は半導体の第一ブームといえる時期で、受注は入った。そこでモリスが重視したのは「生産効率と顧客重視」。成功への報奨金も弾み、社員間の競争も激しい企業文化が育った。とにかくモリスは人材重視で、エンジニアを確保し育てること、そして優秀な人間を重要なポストに就けることに執着していた。
モリスはオフィスではタバコをいつも燻らし、社外での楽しみはポーカーだった。米国で身につけたスタイルからか、最初は社員とは距離があった。だんだんとTSMCで毎年大規模な運動会や忘年会を開くようになり、幹部と社員が一緒に喜怒哀楽をともにする台湾式企業文化を取り入れていった。
ただ、仕事に対する厳格さは最初から最後まで変わらなかった。私は新竹の第2工場を担当していたので、新竹の本社と場所も近く、モリスとはよく顔を合わせた。彼がよく言っていたのは「私は強いリーダーだが、独裁的ではない」だった。
思い出すのは、インテルCEOのアンドリュー・グローブが自伝『Only the Paranoid Survive』(邦訳は『パラノイアだけが生き残る』日経BP)で語っていた「戦略的転換点」という概念を、モリスがよく言及していたことだ。
半導体製造も2000年以降にこの「戦略的転換点」を迎えた。PCやスマートフォンの登場で垂直分業から水平分業に変わり、TSMCはそのチャンスを掴み、飛躍の時期を迎えた。モリスはこの本をTSMCの幹部全員に配った。グローブは米スタンフォード大学で講義を持っていた。モリスものちに台湾の交通大学で経営管理を教えたが、同じスタンフォード大学出身なのでグローブから刺激を受けたのかもしれない。
