「慢性疲労症候群」「線維筋痛症」「コロナ後遺症」などのもっともらしい診断名がつけられることもあるが、診断の根拠やどうケアしていくかについての説明は乏しく、たくさんの薬が処方されるだけだ。もちろん患者の訴えは詐病ではなく、それらの症状は現実的なものとして体験され、患者を苦しめている。
古今東西、こうした症状は患者と医療者を悩ませてきた。日本では300年余り前に、江戸時代の儒学者貝原益軒が、著書『養生訓』の巻第二総論下に「百病は皆気より生ず 病とは気やむ也」と書いているし、人の健康がエネルギー・栄養・潤いのバランスの上に成り立つという漢方の「気・血・水」の考えにも通じる。さらに、何と1800年以上前に、古代ローマ帝国時代のギリシャの医学者ガレノスが「医師の診察を受ける人々の6割が身体的要因ではなく情緒的要因に起因する症状に苦しんでいる」と指摘している。
現代の日本では、こうした症状は「不定愁訴」「自律神経失調症」「心気症」「ヒステリー」などと呼ばれてきた。英語では「‘heartsink’ patients(医師の心を沈ませる患者)」や「the ‘worried well’(過度に心配する健康な人)」などという言い方さえある。これらは医師目線の表現で、患者を遠ざけるニュアンスを感じる人も少なくないだろう。
具合が悪くてやっと病院でいくつも検査を受けたのに、辛さを十分聴いてもらえず何がどうなっているのか十分な説明もない。おまけに、「疾患がないにもかかわらず医療を過剰に利用したり乱用したりする人」と暗にみなしているかのような、何やらネガティブな響きを持つラベルが貼られるのだ。
「原因不明の身体症状」の影響の大きさ
こうした症状がどのぐらいの頻度で存在しているかの有病率を推計することは、実は容易ではない。調査研究で母集団を何にするのか(地域住民全員か、年齢層をどうするか、外来患者か、入院患者か、特定の疾患をもつ患者を加えるか、など)、そして「原因が特定できない症状」をどのように定義するのか(身体症状に限定するかメンタルの不調も含めるか、症状の持続期間を設定するか、どれだけの検査をするのか、など)だけでもいろいろな研究デザインが可能で均一性を欠くことになる。
実際、2015年に発表されたシステマティック・レビューとメタアナリシスでは、分析対象とされた24カ国(日本は含まれていない)、合計7万人以上の患者(15歳〜95歳)を対象とした32件の研究の不均一性はとても高かった。それでも苦労して分析した結果、プライマリ・ケアを受診する患者の40.2%〜49%が、少なくとも1つの「医学的に説明のつかない症状(medically unexplained symptoms; MUS)」を訴えていたというエビデンスが示された。
「適切な検査をすれば症状の原因となる疾患や異常が診断できる」という一般の人たちが医療に期待していることと、いかにかけ離れていることか。これは「静かなパンデミック」とも言えるほどの蔓延である。
そして、問題は患者個人の心身の不調に留まらない。原因不明の症状に対する際限のない検査や臓器別専門医への不適切な紹介は、莫大な医療資源の浪費を招くだけでなく、医原性被害(過剰診療による健康被害)のリスクを増大させる。
このような「原因不明の身体症状」によって発生する医療費の増分を推定した研究がある。若干古いが、08年度の英国の18歳〜65歳を対象とすると「原因不明の身体症状」を示す患者によって生じる医療費の総増分は、約29億ポンド(当時の外国為替レートはリーマン・ショック後にポンド安・円高が急激に進行したため年間平均値で換算して約4800億円)と推定される。これはこの年度におけるこの年齢人口あたりのNHS(国民保健サービス)総医療支出の約10%に相当する。
