科挙から高考まで続く
「一本の梯子」
中国の競争社会には歴史的な背景もある。皇帝を頂点とする中央集権国家では、個人が社会的地位を上げる代表的な方法が科挙だった。現代では、その役割を「高考」と呼ばれる大学入試が担っている。この仕組みには、家柄だけではなく試験によって上昇できるという公平性がある。その一方、成功への道が一本の梯子に集中すると、膨大な人数が同じ基準で順位を争うことになる。
北京大学や清華大学、大手IT企業、公務員、国有企業の席には限りがある。人口が多いだけでなく、戸籍による教育・福祉格差も残るため、試験の一回、就職の一回が人生を大きく左右する。敗者復活の道が細い社会では、競争は激しくなる。
芸術やスポーツでさえ、表現や楽しみよりも、受賞、記録、学校推薦、国家的威信と結びつきやすい。子どもの習い事までが、人生の生存競争の一部になる。現在、中国で「内巻(ネイチュアン=不毛な競争)」「躺平(タンピン=最低限で我慢する)」という言葉が広がったのは、若者が怠惰になったからではない。「内巻」は、努力をし続けても全体の利益が増えず、順位だけを奪い合う状態。「躺平」は、その消耗戦から降りようとする静かな抵抗なのである。
ここに中国体制の矛盾がある。独裁国家なら、中央政府が命令すれば過剰生産を簡単に止められるように見える。しかし実際には、中央政府自身が成長率、雇用、技術自立、輸出拡大を同時に要求している。
地方政府には債務があり、企業には返済があり、若者には仕事が必要である。工場を止めれば失業が増え、地方財政が悪化し、金融機関にも損失が出る。だから中央政府は「価格競争をやめよ」と言いながら、「成長せよ、輸出せよ、世界一になれ」とも命じる。政府が自ら「内巻式競争」の是正を打ち出し、自動車業界の無秩序な価格戦争を「勝者も未来もない」と批判していること自体、問題が体制内部で深刻化している証拠である。つまり、独裁は過当競争を生んだ唯一の原因ではないが、競争の方向を一斉にそろえ、規模を巨大化させる増幅装置になった。
結果として、中国が世界へ輸出しているのは、安いEV、電池、太陽光パネル、AIモデルだけではない。国内で形成された「脱落すれば終わり」という競争原理そのものを、世界市場へ輸出しているのだ。「中国人は品性がない」「模倣を平気でする国民だ」と片づけてしまえば、本質を見誤る。日本もかつて欧米製品を模倣し、改良し、安価に輸出して世界市場を奪った時代があったからだ。
中国の問題は民族性ではない。人間を競争へ追い込み、企業の退出を遅らせ、余剰生産を海外へ押し出す巨大な構造が存在することだ。
中国が過当競争を発明したのではない。人口、国家権力、金融、地方政府、産業集積を組み合わせ、過当競争を世界最大の規模にまで増幅させたのだ。

