2025年12月5日(金)

終わらなかった戦争・後編サハリン

2025年8月9日

 帝政ロシアは、ラッコの毛皮を求めて千島列島を南下した。1798年、幕臣の最上徳内らが択捉島に「大日本恵登呂府」という標柱を建てた。

 日本との交易を拒まれたロシア側はいら立ちを強めて、択捉島などを襲撃した(文化露寇、1806〜07年)。この場にいたのが間宮林蔵で、この後、半島だと考えられていた樺太が島であることを発見し、間宮海峡にその名を残した。

今、なぜ、サハリンの歴史を振り返る必要があるのか?

 55年に日魯通好条約によって択捉島と得撫島との間が国境とされ、樺太の国境画定は先送りされたが、75年の樺太・千島交換条約で、日本は千島列島全島を、ロシアは樺太を領有した。1905年、日露戦争の結果、北緯50度以下を日本が領有することになった。

 しかし、45年8月、ソ連軍が侵攻した。その後、日本は南樺太、千島列島(北方四島を含まず)を放棄した。

豊原

 日本領だった当時、樺太庁が設置された。豊原市は現在、ユジノサハリンスクという名で、サハリン州の州都となっている。

真岡

不凍港として使用された真岡港。日本統治時代は、製紙工業の町としても栄えた。ソ連軍占領に際しては、9人の日本人女性が自決する悲劇「真岡郵便電信局事件」が起きた。現在の名はホルムスク。

大泊

大泊港は、稚内からの船が到着する玄関口であり、ここから鉄道に乗り換え、豊原へと向かった。江戸時代にも、久春古丹という名で松前藩の活動拠点が設置されていた。現在の名はコルサコフ。

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Wedge 2025年8月号より
終わらなかった戦争 サハリン、日ソ戦争が 戦後の日本に残したこと
終わらなかった戦争 サハリン、日ソ戦争が 戦後の日本に残したこと

1945年8月15日。終戦記念日として知られるこの日に、終わらなかった戦争があった――。樺太(現ロシア・サハリン)での地上戦、日ソ戦争である。
「沖縄が〝唯一〟の地上戦」と言われるが、北海道のさらに北、日本領「南樺太」でも地上戦があったことは広く知られていない。
8月9日以降、ソ連軍は、日ソ中立条約を一方的に破棄し、侵攻。8月15日を経てもなお、戦闘は終わらなかった。この間、多くの人が亡くなり、沖縄戦同様、死の逃避行や集団自決もあった。長らくサハリンに残留を余儀なくされ、ソ連崩壊後にようやく日本に帰ることができた人もいた。
終わらなかった戦争は戦後の日本に何を残したのか。また、現代においても、様々な困難が立ちはだかる日本とロシアの関係はどうなっていくのか。
未来を切り拓くために過去の悲劇を学ぶとともに、歴史の忘却に抗いたい。


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