美術館設立のきっかけは、たまたま手にした雑誌で見つけた高畠華宵(たかばたけ・かしょう)の記事でした。その画家が描いた雑誌の口絵は、少年の日に強烈な印象を植えつけていたのです。36年後に蘇った感動─―、それが、華宵最後の1年との奇跡的ともいえる交流をもたらすことになりました。
鹿野少年を感動させた
「さらば故郷!」
「さらば故郷!」
上野公園一帯は、全体に小高い山になっている。その麓に不忍池(しのばずのいけ)がある。そこから近い所に弥生美術館と竹久夢二美術館がある。二つではあるが、ほとんど一つにくっついている。
向いはもう東大だ。この辺りは芸大も近いし、湯島も近いし、根津も近いし、何だかみんな近い。
弥生美術館はその名前から、弥生時代の土器が並んでるんですか、という質問がよくあるらしい。そうではなくて、明治大正昭和と活躍した挿絵画家高畠華宵の作品が展示してある。ここは華宵の終焉の地であり「弥生時代」の前から町名は弥生なのだ。
美術館の創設者鹿野琢見(かのたくみ)氏の住居もここにある。鹿野氏は幼いころ雑誌「日本少年」の口絵にあった「さらば故郷!」という絵に強く感動する。荷物を肩に故郷を後にしようとしている丁稚(でっち)姿の少年の、その着物の裾を愛犬が軽く口で咥(くわ)えて引留めている。その絵を雑誌から切り取ったことが、この美術館に到るほんの小さな原点だった。