もちろん、10%という致死率でも「ただの風邪」にしたら十分に高い。しかし、症状が出ないため、あるいは症状が軽いために検査せず、MERSと確定しない人がまだ相当いることを考えれば、この10%という数字がまだまだ過大評価の可能性もある。新型インフルエンザの致死率も当初は極めて高いとされたが、最終的には0.45%以下との計算になった。(注)
韓国のMERS報道で面白いのは、「どこまで感染が広がったのか」については色々騒がれるのに、臨床経過や治療・予防についての報道が少なく、病気としてのイメージが持ちにくいこと。防護服を着用していた医療感染者が続々と感染し、短期間で亡くなるという報道や、治療薬に関する報道を毎日聞いたエボラ出血熱と比べると、一般の人にとってもだいぶ「コワくない」病気だ。
欧米のメディアでも、韓国のMERSは「国際」欄の「アジア」で大きく取り上げられることはあっても、テレビや新聞のトップで報じられることはまずない。WHOのウェブサイトでの扱いも小さく、「流行収束には時間がかかるだろう」と関係者がコメントすることがあっても、事務局長やスポークスマンが国際社会に注意や協力を呼びかけることはない。
「極東」で起きているローカルな流行
国際社会にとっての「脅威」とは、あくまでも欧米社会に危機が及ぶ可能性のこと。植民地関係の歴史があり、本国から遠く離れたアフリカやアジアから「得体のしれない病気」がやってくる、という構図が存在しない限り、韓国で広がろうが、中国に患者が出て行こうが、グローバルには存在しないのと同じ。韓国が悪かろうがなかろうが、所詮は「極東」で起きている対岸の火事なのだ。
そもそも、感染症学という学問は、プランテーションで働く労働者の生産性を保つために発達した学問だ。欧州では広大な植民地をもつイギリスとフランスを中心に、アジアでは、植民地での結核やマラリアのコントロールで苦戦した日本で発達した。旧植民地アフリカからの移民を国内に抱え込む欧米にとって、エボラ出血熱は脅威のそのものだった。しかし、MERSが中東から出てアジアで局地的に流行したところで関心の対象とすらならない。
今回の韓国のMERSに対しては、国内に多くの韓国人を抱え、往来も多い日本が、欧米よりはるかに高い関心を抱いている。ネット上には「韓国政府の対応が悪い」「病気を日本に持ち込ませるな」といった単純な言説が溢れている。
もっとも、韓国政府への不信感は、海外でというよりも、韓国国内で強まっている。最初の患者を特定するまでに時間がかかったのはまだしも、そこからの政府の対応はやや楽観的にも過ぎ、なによりも、情報公開が遅かったことが韓国国民の怒りと不安を買っている。
疫学的にも遺伝子的にもMERSの感染が、韓国の地域社会、ひいては国際社会へと広く拡大していく可能性は低い。とはいえ、MERSは潜伏期が最大で2週間と長く、年間500万人もの往来があることを考えれば、100%の水際対策は不可能で、日本にすでに入ってきていてもおかしくはない。大事なのは、韓国を他山の石として、国内で「流行させない」ようにすることだ。
(注)http://www.virology.ws/2009/06/16/how-many-people-die-from-influenza/
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。