日本では、警察に届け出のある死体の多くが死因が曖昧なまま葬られ、犯罪が見逃されている可能性があるという。一体、司法解剖の現場では何が起きているのか。『死体は今日も泣いている』(光文社新書)を上梓した千葉大学、東京大学教授で解剖医の岩瀬博太郎氏に、日本の司法解剖の問題点や今後について話を聞いた。
――まず基本的なことをお聞きしたいのですが、検視や司法解剖はどのように行なわれるのでしょうか?
(岩瀬博太郎、光文社)
岩瀬:先進諸国では、解剖や薬物検査を含めた医学的な検査を行った後で犯罪性の有無を判断するのが、死因究明のスタンダードな方法です。しかし、日本では異状死体(明らかな病死以外のすべての死体)があった場合、まず検察官や警察官による検視が行われ、体表検査と周辺の人たちの供述をもとに、犯罪の有無を判断します。これは基本的には800年前の中国古来の方法を採用しているので、未だに科学的ではない部分があり、検視で犯罪が疑われた時だけ、欧米のように司法解剖を行います。
その後、千葉大学の法医学教室で私が行う場合、CT検査したあとで、執刀医の私と補助、書記の3人で解剖を行います。解剖では外表検査、臓器や頭部を取り出し観察し、解剖が終わると皮膚を縫合し遺体を棺に入れ、警察に返します。その後、必要に応じて採取した血液や尿を血液型、薬物、一酸化炭素、DNAなどの各種検査にかけるという流れです。
――日本の場合、最初の検視がかなり影響しますね。
岩瀬:検視官の見立ては大きいですね。個人差が間違いなくありますし、供述を信じてしまう検視官にあたれば犯罪が見逃される可能性もあります。
――検視官の経験値が大きいのでしょうか?
岩瀬:法医学的に適切な判断ができるかという点では、彼らはそういう立場にはないですから経験値というのはあまり関係ないでしょうね。それより、元々の人間性の影響はあると思いますね。もちろん一生懸命勉強し、犯罪を見逃さないのが仕事だと感じている方もいますが、中には上司の顔色をうかがうような方もいますし。また一見犯罪性がなさそうな遺体について、欧米基準で司法解剖をしようと判断すると、所轄の警察官からプレッシャーを受けることもあり、それを気にする方もいるようです。