こうして市中心部から日常が消えてゆく動きのなか、8月31日から9月1日にかけて急速に都市機能が奪われてゆくことが感じられて驚いた。
31日、早めに食事を摂っておこうと午後6時に王府井のデパートに入ったのだが、ツーフロアーに計40店舗ほど入っている飲食店はそのときすでに4分の3が閉店になっていて、残りの店舗も後片付けをはじめているという状態だった。営業しているのはわずかに2店舗で、そこに行き場を失った人々が殺到して黒山の人だかりができているのだ。もはや食べ物にありつくのは絶望的に思われたのだが、店員に尋ねると、
「冷凍ものだけの注文なら時間はかかるが案内できる」という説明だった。実は、もう数日前から北京には品物が搬入されてきていないということで、鮮度を求められるレストランは仕事にならないと早々と店を閉めていたということだった。
パレード前日、強制的にホテルを変えられる
実は私は、パレードが行われる前日の様子に興味があり、天安門からほど近い王府井のホテルを予約していたのだが、出発前に「9月1日から3日まで外出禁止になった」との連絡を受けた後、「外出禁止ではなくホテルの営業そのものができなくなったので、別のホテルに移動してほしい」と強制的にホテルを変えられてしまっていた。
新しいホテルは東長安街の建国門外にあり、場所は天安門には近い。推測するに当局の意図は「第2環状線から外に出ろ」ということだと思われた。つまりパレードには近づけないが、第2環状線の外側は比較的日常が保たれるという理解であったのだが、ホテルを変わった翌2日、都市機能はほぼ全市で止まってしまうのだ。
2日からは飲食店を含めすべての店舗が休業。しかも入り口の門扉が鎖でつながれた上に紙で「封」まで貼られる始末なのだ。こうした街の変化を受けて、普段は人であふれたストリートからはほとんど人影が消えてしまったのだ。ホテルの窓から見える街には、水色のポロシャツを着た「首都治安志願者」のメンバーだけという異様な光景となっていたのである。
9月3日の当日には、経済活動の隙間はなくなっていたので、もはやテレビで軍事パレードを観るしかないといった状態だった。そのこともあって北京の人々はみな軍事パレードを楽しみ、評判も概ね良好であったと思われる。
軍事パレードで紹介された最新兵器は、「アメリカに向けられたもの」との分析が目立ったが、パレードに出すラインナップは半年以上前からインターネットに写真付きで挙げられ(政府公認ではないが)ていて、閲兵式の半月ほど前からは、パレードの順番も含めてすべて正確なメニューがメディアを通じて報じられていたので、当日に大騒ぎするような話でないことは指摘するまでもない。