2024年11月23日(土)

個人美術館ものがたり

2009年10月20日

 その大塚グループ発祥の地が、四国・徳島県の鳴門市なのだ。美術陶板発想のモトは、鳴門の海の白砂である。これを何とか価値あるものに出来ないか、というところから、まずは建築用外壁の大型陶板が生れた。その製造技術が安定しはじめたころに、オイルショック。それならこれにもっと付加価値をつけた高度なものを、というので、世界の名画を原寸大で見られる美術陶板、という発想が生れた。正にピンチから生れた逆転の発想。

大塚正士氏 (1916~2000年)

 

 きっかけは、墓地だ。大塚正士氏がロシアに旅行したとき、フルシチョフの墓を見学した。当地の風習で、墓石には写真が貼りつけてある。ビニールでパックしてあるので水分からは護られているが、陽に晒されて無残にも色褪せている。写真を陶板に焼きつけたら変色せずに保てるはず……、その考えが名画の美術陶板というものに結びついた。

 折しも大塚グループの創業75周年に何か文化事業を、という流れがこの美術館構想に拍車をかけた。75周年だから75億円をかけて、というのが、結果的には400億円の大事業となった。これは建物、土地代、陶板製作に版権料もすべて含めた金額である。

 まずは美術館を見てみよう。この場所は国立公園内なので、建物は高さなどに厳しい制約がある。そこで大部分は山並を壊さぬよう地下に埋められている。県道に面した正面玄関を入り、長いエスカレーターを昇り、まず展示の第一室に入ると、そこがいきなりヴァチカン宮のシスティーナ礼拝堂だ。大きい。はるか高い天井には美術史で何度も習ったミケランジェロの「天地創造」があり、正面の壁には「最後の審判」がある。ぼくはヴァチカンには行ったことがないが、その体験をあらかじめサービスされた気持だ。現地に行けばもっと緊張があるのだろうが、ここでは緊張抜きで、その壮大さがたっぷりと味わえる。緊張がないだけに、よくこれだけ巨大な美術空間を原寸大で、寸分たがわず造り上げたものだと、妙な感動に襲われる。

 美術陶板の実力を見せつけられたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」だ。この壁画は一時期ずいぶん乱暴に扱われて、テンペラ画の傷み具合がひどかった。近年その修復が成されてずいぶん綺麗になったようだが、ここではその「修復前」と「修復後」が向かい合わせの壁に再現されている。「本物」では出来ない芸当だ。

修復前(左)と後の「最後の晩餐」

 そのほか中世の礼拝堂の壁面にある名画類も、いまでは名画だけ取り外されて特別室に収められたり、そうでなければ立入り禁止で遠くから眺めるだけであったりするが、ここではその空間が再現されて、その環境の中での名画を鑑賞できる。これも歴史的緊張を軽減された美術陶板だから出来ることだ。


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