時代の変化で、転職を決意
そこが一番長く続いて、8年間在職した。
担当業務はインタビューから企画モノまでと幅広く、尊敬できる上司の存在もあって、充実した毎日を送れた。
しかし、彼女の立場は出向社員。
広告費用が潤沢だった入社当初から比べると、紙面はどんどん削られていき、同じ仕事を続けることが難しくなっていった。そこで同業他社に、また転職。
38歳の転職で、年収はおよそ700万円。
しかし今度は営業も兼務することになり、週に半分以上も家に帰れない日々が続いた。
「入る前からブラックな職場だと聞いてはいたんです。だけど、待遇が良かったし、前の仕事の楽しさが忘れられなくて入社を決めたんです」
疲労困憊の中での“出会い”
体こそ壊さなかったものの、心が疲れていくのを多恵さんは感じるようになっていった。
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「ある日、仕事帰りに駅から家に向かって歩いると、急に涙が流れてきたんです。悲しいとか辛いとか、全然感じてもいないのに、涙がどんどん出てきて……。それで、『ああ、私、疲れているんだな、もう、ダメなのかもしれないな』って、仕事を続ける限界を認めざるを得なくなりました」
同じころ、彼女はその後移住する県の人と出会い、交流を始めている。
「フェイスブックのイベントページで、たまたま県のキーマンになっている人と知り合ったんですね。彼とやり取りをするうちに、県の他の人たちともつながりができるようになって、まだ誰とも会ってないうちから、県の“温かさ”を感じるようになりました」