2024年4月27日(土)

古希バックパッカー海外放浪記

2015年11月29日

 食堂でトースト、ジャム、ゆで卵、紅茶、オレンジジュースという定番の朝食を食べながらおしゃべり。他の連中は朝寝をしているらしく食堂は二人きり。いろいろ話しているとユイチャンは外見に似合わずかなり冷静に将来を見据えて計画していることが分かってきた。

 彼女は台湾がいずれ中国の一部となることは避けられないと分析しており、香港と同じ運命を辿ることになることを懸念。中国共産党の支配下で自由を制限されて生きるよりは台湾を離れて自由に生きる道を選択したいと。いろいろな選択肢を検討した結果、オーストラリアへの移住がベストとの結論に至った由。メルボルンに叔母一家が住んでいることも一つの理由であるそう。まず今年彼女がメルボルンの大学に留学して、その後メルボルンで就職してから両親を呼び寄せる計画とのこと。

 台湾では経済的に余裕がある人々は海外不動産を購入したり移住したりすることが珍しくない。15年ほど前のことになるが、アフリカ出張の帰りにヨハネスブルグからシンガポール行きのフライトに搭乗したときに中華系の団体の乗客が50人くらい乗っていた。聞いてみたら台湾人の一行であり「南アの農場を視察してきた」とのこと。南アで黒人政権成立により将来を不安視した白人農場主が広大な農場を安値で売りに出しており、投資対象として物件を視察に来たという。

 中華系の人々は蓄財に熱心であり、社会変動に備えて資産を分散投資する伝統があるが、ユイチャンもそうなのであろう。日本に生まれて日本で教育を受けて日本で就職して家を持ち一生日本で生きることが当然の日本人社会では考えにくいが、私が知る限り中国本土(特に上海以南)、香港、台湾、シンガポールなどの華人社会ではそのようなグローバルな視野を持っている人々が普通である。

 結局11時頃までユイチャンと紅茶を飲みながらおしゃべり。午後ユイチャンは韓国の友人と買い物に出かけるが、友人が夕方からバイトがあるので夕食は二人で一緒に釜山の町に出て韓国焼肉を食べることとなった。

海雲台ビーチでキャプテン・アンと
ビールを飲みながら

海雲台海鮮市場の元気のいいお姉さん

 ユイチャンと別れてから自転車で海雲台ビーチを散策。快晴でそよ風が心地よい。木陰で休んでいると韓国人の同年代の男性が流暢な日本語で話しかけてきた。安さんといい日本の大手船会社のK汽船の機関長であったとのこと。現在は引退して近くのマンションに暮らしており今年65歳であるという。

 「自分のマンションの近くに韓食のカフェテラスがあるから一緒にビールを飲みましょう」とのお誘いにのってテラスへ。チジミやキムチなどをつまみに冷えたビールを飲みながら談笑。

高級リゾート海雲台ビーチ

 安氏は商船学校を卒業後韓国の船会社に就職したが当時は経済が不安定で待遇や給与が悪く数年でK汽船に移籍。K汽船では外国航路のタンカーやバラ積み船などの不定期船に乗務。

 独学で日本語をマスターして日本人の船長に非常に可愛がられたとのこと。安氏は専門の機関以外に貨物の積み下ろしの監督や運航計画の作成、さらには英語も達者なのでフィリピン人など外国籍船員のまとめ役や寄港地での対外折衝など幅広く業務をこなしたよし。それゆえ歴代の日本人船長から重宝がられてK汽船から好待遇を受けたとのこと。

 歴代船長とは今でも交友を続けており先月も清水在住の元船長氏が遊びに来て旧交を温め、来年はある元船長の古稀のお祝いがあり東京に当時の仲間が集まる計画であると。さらに安氏の三人の子供は全員米国留学して卒業後も米国で仕事をしており、安氏は老後を米国で暮らすことも検討している由。そのような安氏の成功物語は若い時に韓国の船会社を見限って日本のK汽船に転職したことに起因している。

 安氏の話を聞いていて彼が心からの親日家であると感じたが、その一方で日本の会社で長年働いて成功したことを韓国社会では公言し難い雰囲気があることもそれとなく伝わってきた。安氏が親日家であることを公言できない韓国社会の高い壁が聳えているように思われた。

キャプテン・アンとテラスでビールを飲みながら

⇒第3回に続く

  
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