この状態で3750mを走り切れるのか不安になってくる。自動車が後方から接近してくると低い轟音が鳴り響き追い抜きざまには爆音となる。高校の物理学の授業の一コマが頭をよぎる。“ドップラー効果”である。小型車ですら怖くなるほどの轟音であるが大型車両になるとジャンボジェットが迫ってくるような爆音となる。このひっきりなしの轟音は精神的拷問である。
手首と首の後ろが攣りそうになってきた。もうだめだと停車して休憩しようと減速したら前方に微かな光が見えてきた。光が次第に大きくなってくる。光の輝きの洪水が閃光となって襲ってきた。閃光弾を浴びたように前方が真っ白となり何も見えない。慌てて道路の下方に視線を落とす。側道の白線を凝視しながら白線に沿って徐行しながら出口を目指す。
トンネル地獄を抜けると明るい紺碧の秋空が視界いっぱいに飛び込んできた。国道の両側にコスモスが咲き乱れている。くねくねした下り坂が続いている。遠くに霞んで見える小さな集落まで下り坂である。相変わらずの前傾姿勢であるがトンネル地獄から解放されて精神的に解放されたのか首や腕の筋肉痛も気にならなくなってきた。最初の集落を通過しているときに標識が見えた。まだ麒蹄まで20キロ以上あるようだ。
麒蹄(インジェ)の連れ込み宿
コスモス街道を上り下りしながら麒蹄に5時過ぎに到着。山間の谷間に建物が密集している小さな町である。標高が800mくらいなので海岸よりも夜間は冷え込むことが予想された。雲行きも怪しいので屋根があり風が防げるような場所がないか町中を探し回ったがどうも見つからない。
とりあえず沐浴湯(銭湯)があったので飛び込む。山間部の小さな町なので6時過ぎには客がないのでボイラーを止めたらしくサウナは温度が低く、蛇口から出るお湯もぬるかった。早く出ろと言わんばかりに三助がブラシで掃除を始める始末。不快感が込み上げてきて怒鳴りつけたいのを我慢して風呂からあがる。
再び野営地を丹念に探すが谷間の狭い土地に商店や民家が密集しているので路地の隙間くらいしか空き地がない。料亭や民家など数件に軒下を貸してくれないか頼んでみたがそれぞれ事情があり断念。結局、民泊(ミンバク)、すなわち日本でいうと民宿に宿泊することにした。
やり手婆みたいな風体の婆さんが出てきた。東海岸には多数の民泊があり一律3万ウオン(=約3千円)であったので山間の流行らない小汚い民泊なら最悪2万5千ウオン程度が地元相場と判断して2万ウオンから交渉を始めてみたが強欲な婆さんは3万ウオンを譲らず。部屋をチェックしたが、どうやら連れ込み宿のようであった。あたりは真っ暗となり他に行くあてもなく婆さんに足元を見られて3万ウオンで泣く泣く妥結。婆さんは薄ら笑いを浮かべて「自転車(チャジャンゴ)は安全のため玄関に入れていいですよ」なんて余裕である。悔しいが完敗であった。
⇒第9回に続く
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