2024年12月23日(月)

いま、なぜ武士道なのか

2009年10月24日

“草食系男子”“スカート男子”なる男性が増えてきた。最近は、男性用のファッション誌やスキンケア商品も充実してきている。時代を遡って、では昔の武士はボサボサ頭だったかといえば、実はそうではない。彼らも現代人と同じように、毎朝行水し、整えた髪に香までとめていたという。そればかりでなく、爪の長さまで気にしていた。藩という組織に属するものとして、人と対面するときのルールを、きちんと守っていた。
身だしなみに始まり、金銭、色欲など、日常のすべてに関る振舞いが、その人の倫理観を反映するということは、いつの時代も変わらない真理なのである。

 最近は、男性の化粧品も大分出まわってきている。化粧というものは女性のものであるといわれているが、必ずしもそうではない。そのことは鳥や動物の世界を見てもわかるであろう。むしろ雄の方がきらびやかなのが一般的である。これは種の繁栄のためにあみだされた、種の知恵である。

 人間においては、それを人為的に工夫をしている。単に視覚だけではなく嗅覚から始まって、五感にうったえる工夫をしている。それが武士社会になると、一つの倫理にまで高められる。以下がそれである。

五六十年以前迄の士は、毎朝、行水、月代(さかやき)、髪に香をとめ、手足の爪を切って軽石にて摺り、こがね草にて磨き、懈怠なく身元を嗜み、尤も武具一通りは錆をつけず、埃を拂ひ、磨き立て召し置き候。身元を別けて嗜み候事、伊達のやうに候へども、風流の儀にてこれなく候。今日討死討死と必死の覚悟を極め、若し無嗜みにて討死いたし候へば、兼ての不覚悟もあらはれ、敵に見限られ、きたなまれ候故に、老若ともに身元を嗜み申したる事に候。事むつかしく、隙つひえ申すやうに候へども、武士の仕事は斯様の事にて候。別に忙はしき事、隙入る事もこれなく候。常住討死の仕組に打ちはまり、篤と死身となり切って、奉公も勤め、武篇も仕り候はば、恥辱あるまじく、斯様の事を夢にも心つかず、欲得我儘ばかりにて日を送り、行き当りては恥をかき、それも恥とも思はず、我さへ快く候へば、何も構はずなどと言って、放埓無作法の行跡になり行き候事、返すがえす口惜しき次第にて候。兼て必死に極め候はば、何しに平生賤しき振舞あるべきや。このあたり、よくよく工夫仕るべき事なり。又三十年以来風規打ち替り、若侍どもの出合ひの咄に、金銀の噂、損徳(原文ママ)の考へ、内證事咄、衣装の吟味、色欲の雜談ばかりにて、この事なければ、一座しまぬ様に相聞え候。是非なき風俗になり行き候。
昔は二十、三十ども迄も素より心の内に賤しき事持ち申さず候故、詞(ことば)にも出し申さず候。年配の者も計らず申し出し候へば、怪我の樣に覺え居り申し候。これは世上花麗になり、内證方ばかりを肝要に目つけ候故にてこれあるべく候。我身に似合はざる驕りさへ仕らず候へば、兎も角も相済む物にて候。
又今時若き者の始末心これあるをよき家持などと褒むるは浅ましき事にて候。始末心これある者は義理欠き申し候。義理なき者はすくたれなり。


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