2024年4月29日(月)

ペコペコ・サラリーマン哲学

2009年11月11日

 政治の世界に住む亀井君は、一経理・財務マンの私にとってはあまりに縁遠い人でした。前にも触れましたが、亀井君とは、下君の葬儀以来26年間会っていません。渡辺君は同じビジネスの世界ですが、広告は別世界ですから、ときどき会ってはいたのですが、仕事の話にはとても首は突っ込めませんでした。彼らが親友はおろか、友だちとさえ言えない友だった、と冒頭に書いたのはそういう理由です。

 でも、幅広い見識、素養があり、私にはない芸術性を持つ渡辺君にときどき会うことで、大いに啓発を受けたのは事実です。経理・財務の本筋の仕事以外にも、小さくてもいいから何か楽しめる世界を持って、人生を豊かにしたいな、そう思わせてくれました。

 40才のころだったと思います。子どもたちを、家の近くの所沢の小手指ヶ原古戦場に連れていきました。好奇心いっぱいに、「なんで戦ったの?」「誰がいつ誰と戦ったの?」・・・大学受験で日本史が60点中7点しか取れなかった私は、子どもたちの質問に何一つ答えられませんでした。

思い出した学生時代のコンプレックス

 家に帰ってテレビをつけると、堺屋太一氏が、「私はすべて歴史からいまの経済を分析している」と語っていました。堺屋氏は私と同世代。コンプレックスを感じました。

 しばらくして、当時売れていた『歴史をさわがせた女たち』(永井路子著、文藝春秋)を読みました。いつのどこの誰の話か、まったく意味がつかめません。読むのが嫌になりました。どうにかしたい、でも歴史が苦手な自分はどこから始めればいいのか。年代を覚えることなら自分でもできそうだ、年代を覚えて、時間軸を理解することから始めたらいいのではないかと思いつきました。

 本屋さんに行くと、ゴロ合わせの本がたくさんあります。大人向け、受験生向けにまじって、小学生向けまであります。それらの本を最終的には100冊以上買ったと思います。大正時代の古本まで買いました。

 それらを通勤の行き帰りに読んでいると、どれも結構よく似たゴロ合わせであることに気づきました。それを覚えるのは独創性がなくて面白くない。どうせなら自分で作ってみよう、そう思ったのは50才のころでしょうか。それから帰りの通勤電車が俄然楽しくなりました。

金児氏が持ち歩いているノートのメモ

 電車の中の広告や、あちこちの看板に、電話番号のゴロ合わせが書いてあります。ゴロ合わせを考えたくなる数字の羅列もたくさんあります。背広のポケットの内ポケットに入る小さなノート(縦8cm・横6cm)を買い、何か思いついたらすぐメモを取るようにしました。この「ノートを背広から取り出す動作」が大事です。これができれば、メモは取らなくてもいいと言ってもいいかもしれません。この習慣は現在まで30年以上続けています。

 目的は歴史を時間軸で押さえることですから、ポイントの出来事には、広がりを持たせた覚え方をします。「794(ナクヨ)うぐいす平安京」ではなく、「794(ナクヨ)農民400年」とすれば、平安時代が400年続いたことが頭に入ります。「1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府」ではなく、「鎌倉幕府、140年の1192(イイクフウ)」。「徳川幕府、260年の1603(イロヲミル)」というように。

 そして、たいていのゴロ合わせ本は江戸時代までですから、近現代までやりました。「ロンドンの193(床屋さん)で0(丸坊主)・・・1930年ロンドン軍縮条約」というような感じです。


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