定年バックパッカー海外放浪記

2016年4月24日

»著者プロフィール
閉じる

高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年、横浜生まれ。神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

苛烈な運命に絶望、どん底からの再生

 11月21日 午後OT氏の勧めで同氏が逗留している宿に移った。OT氏と歓談していると彼の波乱万丈な半生が浮かび上がってきた。

 OT氏は北関東の地方都市出身。工業高校卒業後東京で就職。35歳の時に父親が倒れ実家の軽金属加工会社を継ぐ。大手アルミメーカーの傘下企業として一時は従業員100人を抱えて多忙な日々を送っていたが、バブル崩壊後に御多分に漏れず経営が悪化。規模を縮小して事業継続に悪戦苦闘。銀行の貸しはがしにより資金繰りが悪化し、最後には危ない金融筋からも借金。

 49歳の時、経営に行き詰まり存続可能な事業分野を経営譲渡して、残りの事業を細々と続けながら借金の返済に充てることに。59歳の時に癌で奥さんを亡くす。60歳で細々と続けてきた事業を整理して借金清算。

 この間に昔からの取引先から裏切られ、友人親戚は離れていった。60歳を過ぎたが年金だけでは暮らしが成り立たず。そんな絶望的なある日、以前視察で訪れたベトナムを思い出したという。仲間の業者と一緒に工業団地を視察してゴルフして各地を観光した楽しい想い出。ベトナムに高校時代に憧れたゴーギャンのタヒチを重ね合わせた。

 どうせ死ぬなら美しいベトナムを訪れてから死のうと心に決めて2年前ハノイに降り立った。ハノイの家庭的なホテルで逗留している間にオーナー一家と親しくなり子供たちに日本語を教えたりして過ごしたという。物価の安いベトナムなら年金でなんとか生活してゆけると分かったOT氏はベトナム定住を決心、オーナー一家の優しい心遣いや子供たちとの交流のなかで心が癒されて生きる気力が湧いてきた。

 ある日、オーナーの親類筋の男性が訪ねてきて歓談。男性は政府の高官で産業政策担当。日本から軽金属の鋳物技術導入を検討していると聞いて、早速OT氏は旧知の鋳物業者と連絡を取った。話はとんとん拍子に進み、現在工場建設の準備中とのこと。OT氏はベトナムへの恩返しだという。

「死ぬ前に生き別れた息子たちに一目会いたい」

 プノンペンでの最終日、別れ際にOT氏が漏らした言葉が忘れられない。OT氏には20年以上も会っていない二人の息子がいるという。20数年前の借金地獄のなかでの自転車操業の日々。OT氏は「自分が首を吊っても暴力金融は容赦しない。借金取りは妻子に肩代わりをさせようと追いかけてくる」と思い悩んだ。息子二人と法的に親子の縁を切るしかない。それに借金地獄で子供に満足な教育を受けさせる余裕もなかった。当時長男は中学1年生、次男はまだ小学生。

 確執があって長年疎遠にしていた長兄にOT氏は土下座して「二人を養子にして育ててくれ」と頼み込んだ。長兄は「二人に一生会わないと約束するなら」という条件で引き受けた。長兄は既に他界したが、二人には会わせる顔がないと自分を恥じて未だに連絡を絶っているという。OT氏の顔を辛くて見ていられなかった。

 「いつか会える日が必ず来ますよ」としか言えずに別れた。


⇒第11回に続く

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。

関連記事

新着記事

»もっと見る