あしひきの山鳥〔やまどり〕の尾の垂〔しだ〕り尾の
長き永夜〔ながよ〕をひとりかも寝む
(巻11-2802)
万葉集では作者不明とされている歌だが、のちに、柿本人麻呂の作とされるようになった。山鳥のしだれた長い尾のように、長い長い夜を、自分は妻もなく、ひとりで寝ることであろうか。
ここで「妻もなく」といっているのは、山鳥は夜になると、メスとオスが別々に峰をへだてて寝る、という習性にこと寄せていっているのだという。そこから「ひとりかも寝む」の孤独で寂しい気分がつむぎだされる。
ひとり寝のまゝ、山鳥の声を静かにきいている作者の姿が自然に浮かび上ってくるが、いつのまにかそれに響き合うようにきこえてくるのが、つぎのような行基〔ぎょうき〕の歌である。
山鳥のほろほろと鳴く声聞けば
父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ
(『玉葉和歌集』巻19-2627)
「ほろほろ」と鳴く山鳥の声をきいていると、父が呼ぶ声、母が呼ぶ声ではないかと思い惑うようになるとうたっている。
行基は8世紀の人、奈良・薬師寺の僧だった。諸国に多くの寺院や道場を建て、橋や道をつくった。奈良の大仏を造営するため寄付金の募集に尽力し、大僧正にまでのぼりつめた。
私はといえば、ひとりで山に入り、森にふみこんで歩いているようなとき、鳥の鳴き声がきこえると自然に人麻呂の「山鳥」を想い出している。行基のいう「山鳥のほろほろと鳴く声」に耳を澄ましている。
山では、風がさあーと吹いて、眼前の光景が一変し、賽〔さい〕の河原が浮かび上ってくるときがある。さ迷い歩く子供の姿があらわれ、小石を一つずつ積んで、塔をつくろうとしている。鬼が追ってきて、それをつき崩す。
二つや三つや、四つ五つ。十にもならぬみどりごが、さいのかはらにあつまりて、ちゝうへこひし。はゝうへこひし。
(『賽の河原、地蔵和讃』)