2024年4月19日(金)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2016年4月25日

習近平によって失脚させられた大物一族

 山西省では、石炭利権を持つグループを中心とする「山西幇(山西グループ)」が形成されていた。そのトップに君臨していたのが、胡錦濤の側近と言われ、習近平の反腐敗闘争によって失脚させられた元党中央統一戦線部長の令計画らを中心とする令家だ。

 令家は、山西省の古い家柄の出身であり、革命でも大きく貢献したため、令家の面々(主に令計画の兄弟たち)はそれぞれ中央・地方で出世を遂げた。そのなかで腐敗にまみれ、習近平に付け入るスキを与えてしまった。本作の主人公の「ジンシェン」は、反腐敗闘争によって危うく上海から香港に逃れ、そこからオーストラリアに逃れた設定になっている。この映画が撮影されたのは令計画事件の発覚する前であったので、その後におきた山西幇の崩壊を予言していたことにもなる。

回復不能のダメージ

© Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

 映画では、1990年代の中国が、欧米や香港の楽曲を楽しみ、高級車を乗り回しながら、改革開放の日の出を楽しんでいる姿が描かれている。3人の間にもまだ友情が強く生きていた時代だ。

 私のように1990年代に中国を知り、入り込んだ人間にとっては、いささかたまらないポイントが満載されている映画である。例えば、サンタナという当時は一世を風靡した高級車をジンシェンが自慢げに乗り回すところ。贅沢品だったラジカセに香港の人気歌手サリー・イップの名曲「珍重」をかけて流すところ。とにかく1990年代の中国は、希望があって、変化があって、まだ富がもたらす人間社会への悪影響に対して、多くの人が無知だった。

 映画は1999年、2014年、2025年という過去、現在、未来の三つの時代を、3人の人生を軸に描いているが、その狙うところは、中国における時の経過を伴って広がった格差社会の冷酷な現実が、かつては優さを残していた人間関係に与える回復不能のダメージを浮かび上がらせる点にある。

 その失われたものを、山西という舞台における人間関係の崩壊と再生を通して照らし出すところが、強い社会批判精神を持ちつつ、エンターテイメントとしての完成度も追求する手腕を見せてきたジャ監督の真骨頂であろう。

  
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