ーーメディア以外の組織や個人もこの通知に対し賛否を表明し議論が巻き起こりましたが、その他の意見についてはどうでしょうか?
吉見 日本学術会議や経団連もこの通知に反対を表明しました。たとえば経団連は文科省の通知に対し、自分たちはすぐに役に立つような実用的な知識の養成だけを大学に求めているわけではない。「基礎的な体力、公徳心に加え、幅広い教養、課題発見・解決力、外国語によるコミュニケーション能力、自らの意見を論理的に発信する力などは欠くことができない」と主張していきました。この主張自体は、その通りなのですが、文系学部と教養教育は同じではありません。
つまり、昨年の騒動は人文社会系の学問に関する認識不足や、この20年間に文系に起きてきた変化についての認識不足を露呈することとなりました。
ーーそもそも前提とする認識が間違っていたと。他にも気になった議論はありましたか?
吉見 それが、この本の中の一番重要なポイントです。去年の議論の中で私が違和感を持ったのは、「文系の知は役に立たないけれど価値がある。だからこそ廃止すべきではない」という反論です。しかし、「文系は役に立たない」と言ってしまった瞬間に、廃止するという議論に根本的には対抗できなくなってしまう。
特に考察すべきなのは、「理系は役に立つけれども、文系は役に立たない」という認識が、国民一般に暗黙裡に浸透している状況です。これこそが問題で、極端に言えば90年代末以降の日本の凋落のひとつの大きな要因だとも言えるのです。
私は「文系は役に立つ」と確信しています。だから、文系学部はどのように役に立つのか、その「役に立つ」とはどういう概念なのかをこの本で論じました。
ーーそれでは役に立つとはどういうことでしょうか?
吉見 「役に立つ」には2つの意味があります。1つ目は、すでに与えられた目的に対して手段として役に立つこと、手段的有用性です。例えば、大阪まで最も早く確実に行くのは新幹線です。だから、新幹線の技術は素晴らしいし、それを作ったのは日本の理系の技術力である。だから理系は役に立つ、そういう有用性です。確かに、目的に速く到達するにはそうかもしれませんが、その場合には、目的が所与です。つまり、何らかの所与の目的に対して手段として役に立つことは、目的やそれを支える価値が変わってしまえば役に立たなくなるのです。
しかし、そもそも社会にとって何が重要な目的であるかは人々の価値観や社会の価値軸によって決まるのです。そしてその価値軸は、数十年単位で必ず変化する。ですから、そうした歴史の流れの中で、現在、多くの人が当たり前と思っている目的や価値を批判し、新しい目的や価値を創造する価値創造的な有用性があります。これが、2つ目の「役に立つ」です。これこそが文系の知の本質なのです。
ーーなるほど、先程の90年代以降の日本の凋落とつながってくるわけですね。