2024年4月19日(金)

WEDGE REPORT

2016年5月27日

広島訪問まで時間がかかった原因

松尾文夫 元共同通信ワシントン支局長 1933年生まれ。学習院大学政経学部政治学科卒業。共同通信社入社後、ニューヨーク、ワシントン特派員、バンコク支局長、ワシントン支局長などを歴任。04年『銃を持つ民主主義』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

 米大統領の広島訪問よりも先に、日本の首相がパール・ハーバーを訪問することもできたはずだが、実行されてこなかった。一番のチャンスだったのは、06年に小泉純一郎首相が、ブッシュ大統領にエアフォースワンでテネシー州のエルビス・プレスリーの自宅に案内された時だ。

 プレスリーはパール・ハーバーのアリゾナ記念館の設立に6万ドルを寄付している。プレスリーの大ファンという小泉首相が自宅だけではなく、パール・ハーバーにも行きたいと言えば、実現は可能だったはずだ。

 またドイツと違い、日本が戦争にけじめをつけて来なかったことが大きい。01年1月、ニューヨークタイムズ紙のインタビューで、ナチスドイツによる強制労働の補償交渉をまとめたアイゼンスタット米財務副長官(当時)が「心残りは同じように強制労働をさせた日本による補償を実現できなかったことだ」と述べ、サンフランシスコ平和条約が、日本による強制労働の補償や没収財産の返却を不可能にしたと説明している。

 東西冷戦のしがらみの中でこの条約が結ばれたという背景もあり、日本が敗戦についてケジメをつけないまま現在に至っている。例えば、外国人に日本では「占領軍」を「進駐軍」と呼んでいると話すと、驚かれることがある。この言葉の言い換えは、敗戦によって占領されたという事実に日本が向き合いたくなかったという姿勢の表れでもある。

 さらにこの戦争が、中国市場を巡っての戦争だったように、日米関係を考える時、米中関係について頭に入れておく必要がある。歴史的には、米中関係は、日中関係よりも先にはじまっている。いわゆるペリー提督による砲艦外交によって1854年、日米和親条約が結ばれたのに対して、米中は1784年、米国独立の翌年から通商を開始している。エンプレス・オブ・チャイナという船がインド洋経由で広東に入港し、米国産朝鮮ニンジンを輸出した。米中の絆は日本人が考えている以上に深いということだ。

重要なのはポスト広島 新たな日本外交

 オバマ大統領が広島を訪れる時、安倍晋三首相が同行するのは良いことだ。そして、安倍首相は広島での鎮魂の儀式に対する返礼として、パール・ハーバーを訪問する計画を早急に明らかにして欲しい。

 オバマ大統領の広島訪問について韓国メディアが「日本が被害者であることは許さない」という趣旨の報道を行うなど、日本の戦争による被害者である韓国や中国からすれば、面白く思わない人も少なくないのは理解できる。だからこそ、中国、韓国の日本に対するわだかまりを解消するべく動く必要がある。その第一歩がパール・ハーバーの訪問だ。これを奇貨として「ニュー・ジャパン・ドクトリン」、新たな日本外交をスタートさせて欲しい。

  
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