「あるべき世界」の再確認 オバマ大統領の真意
中山俊宏(慶應義塾大学総合政策学部 教授)
5月10日夜、オバマ大統領が広島を訪問することが正式に発表された。いまから7年前のプラハで「核なき世界」を提唱してから、日本国民が待ちわびていた訪問だともいえる。政権最終盤となり、現職大統領としての訪問ということになると、タイミングも限られていた。
4月下旬、日本のメディアによって、G7伊勢志摩サミット出席のために来日する機会をとらえて訪問が「内定」したことが伝えられると、記憶の隅に押しやられていた期待が息を吹き返し、日本での期待が再び高まっていた。
5月初旬、ワシントン訪問中の筆者が各方面に確認したところ、本格的に検討している様子で、まさに大統領とその周りの最終決定に委ねられているという状況だった。そして10日、サミット終了後に安倍晋三首相と広島を訪れることが決まった。
トランプ対クリントン 大統領選への影響を懸念
米国には、積極論、消極論の双方がある。それは訪問そのものの是非というよりは、訪問することが引き起こすインパクトをめぐっての積極論と消極論だ。基本的には謝罪をめぐる議論を喚起してしまうこと、そしてそれが大統領選挙という「政治の季節」にからめ取られて、日米間に訪問本来の意図とは別に、妙なしこりが生じてしまうことへの懸念だ。
米大統領選挙の構図が「トランプ対クリントン」で固まろうとしていることもその懸念を倍加させている。トランプ候補は、あらゆる手段を用いてクリントン候補を潰しにかかるだろう。大統領の訪問をめぐって謝罪論争が生じた時、クリントン候補も間違いなくそれにからめ取られる。それゆえ、訪問するなら、大統領選挙が終わった11月以降が望ましいとの声も聞かれる。また仮に今回訪問するとしても、演説はせず、献花のみにとどめるべきだとの意見もある。
米国では、原爆投下に関する意見はいまだ大きく割れている。依然として、戦争を終結させるためにはやむを得なかったとする見方が優勢だ。しかし、そんな米国でも、長期的に見れば原爆投下に関する考え方が少しずつだが変わりつつある。特に若い世代の意識の変化は顕著だ。米調査機関ピュー・リサーチ・センターの調査によれば、65歳以上の7割がその使用は正当化しうると見なしているのに対し、18歳から29歳では、その割合は5割を切る。
さらに今回の訪問の話が本格化した背景には、4月11日、G7外相会議で広島を訪れた米国のケリー国務長官が、G7外相の一員として広島の原爆死没者慰霊碑に献花し、それが成功裡に終わったことが大きく影響している。オバマ政権は、ケリー長官訪問のインパクトを注意深く見守っていたようだ。ニューヨークタイムズやワシントンポストなどの米主要紙も、長官訪問を受けて、大統領訪問支持を表明している。
ケリー長官自身は、心を大きく揺さぶられたことを率直にメディアに語り、大統領へも訪問を進言したと伝えられている。長官は会見で、「誰もが広島を訪れるべきだ。誰もというのは文字通り、『誰も』がということだ。だから、私はいつか、米大統領がその『誰も』の1人としてここに来られるようになることを希求している」と躊躇なく述べている。
ケリー長官以前には、1984年にカーター前大統領が、そして2008年にはペローシ下院議員が現職下院議長として訪問している。00年代、ブッシュ政権下で、駐日大使が広島を訪問し、10年以降は、大使が広島と長崎の平和祈念式典に出席することが珍しくなくなっている。