要するに、1度目の赴任では共産党政府の動きを見ていれば中国を理解出来る、またそれだけで日本の新聞が成り立つだろうという間違った自己認識を持っていたのに対し、2度目はその裏側で権力に対抗し、監視したり社会を変革しようという民間の人たちに注目しようと私自身の取材のやり方も変化しました。また中国社会もそうした民間の動きが盛り上がり、それを抑えつけようという具合に変化していったのです。
――本書から、中国では未だに毛沢東という人物を巡る対立が大きいのかなという印象を受けました。
城山:そうですね。中国というのは未だに1949年の新中国建国以降の歴史に縛られている国なんです。だからこそ、新たな政治体制や民主化が進まない。その最たる例であり、タブーでもあるのが「毛沢東」や「天安門事件」です。
毛沢東が行った文化大革命では約1億人の被害者が出て、1000万人以上が死亡しました。少しでも政府に反することを言えば死刑になってしまう時代で、家庭内ですら、母親が何か毛沢東を批判すれば紅衛兵と呼ばれた毛沢東を崇拝している実の子供の密告により、母親が死刑になってしまうような状況でした。
また毛沢東は、核実験や反米闘争などに代表されるような強硬な外交を展開しましたし、1972年の日中国交正常化までは、日本に対してもこのような外交を展開していた。毛沢東を支持する人たちは、だからこそ世界に馬鹿にされなかったと言います。
さらに、78年以降の鄧小平の改革開放後、自由主義経済が浸透していくにつれ社会には腐敗が浸透していきます。しかし「毛沢東時代には、社会に腐敗はなく、貧しかったけれど比較的平等な社会であった」と支持者たちは主張します。ある種の理想郷であった毛沢東時代に戻るべきだと言うのです。
その一方で、毛沢東や天安門事件といった歴史を乗り越えることなしに、中国の進歩や改革はあり得ないと主張する人たちが毛沢東に否定的で、先ほどお話した人権派弁護士や改革派の大学教員など知識人に多い。彼らは、対日関係でも暴力ではなく、理性的に向きあおうと主張します。
つまり、中国の保守派は毛沢東を支持し、抗日戦争の歴史を重視して日本に対し強硬な姿勢に出ようという人たちで、毛沢東を否定し、日本と理性的に向きあおうという人たちが改革派と大きく分類出来ると思います。