フランス人のクリスティアーノは30代半ばの電気工。同じくフランス人のナッツイはアラサーのショートヘア―の積極的な女性。この二人はこの慈善宿で初めて知り合ったのだが、二日後に昔の小学校を改装した巡礼宿で再会した時には二人は恋人同士になっていた。巡礼宿で私と三人でおしゃべりしている間も抱き合ったりキスしたりと私に遠慮がない。
当時61歳の私はこの二人と一緒にいると不思議なことに彼らのほうが“大人”だと常に感じていた。それは彼らが私に対していつも気遣いしてくれるからであった。例えば「喉が渇いているだろう」とジュースを買ってきてくれたり、携帯で翌日の宿を予約してくれたりと。要するに他人を思いやる大人の余裕が二人から感じられたのである。
他人を思いやる余裕というのは大事なことである。自分のことで“いっぱいいっぱい”の時は自己中心的になりがちである。視野も狭くなり客観的に判断できなくなる。私は二人から“大人”としてあるべき振る舞いや態度がどうあるべきか学んだような気がした。フランス人にはフランス革命以来積み上げてきた市民社会文化が自然と身についているのだろうか。
それから数日後の5月25日にEauzeで二人に再会したがクリスティア―ノは元気がない。アキレス腱を痛めてしまい巡礼旅を断念すると無念そうに告げた。ナッツイは固い表情で彼の手を握っていた。彼は「これも私の運命」(it’s my destiny)と言った。
可憐な少女エレン
夕食のテーブルの隅に座っていたエレンはケルン出身17歳。内気で可憐な少女だ。高校卒業したばかりで一年間旅をしてギャップ・イヤー(gap year)※を楽しんでから進路を決める計画という。彼女は料理人見習いのボーイフレンドと一緒だ。二人で聖地サンチアゴまで行く予定であるとたどたどしい英語で話してくれた。