新入社員は、初めの頃は礼儀正しくまじめである。日がたつにしたがって、ういういしさは失われ生意気になってくる。これが小人の常道ではあるが、時には原点に立ちかえって、自分の方向を見直したいものである。
諸人一和して、天道に任せて居れば心安きなり。一和せぬは、大義を調へても忠義にあらず。朋輩と仲悪しく、かりそめの出会ひにも顔出し悪しく、すね言のみ言ふは、胸量狭き愚痴より出づるなり。自然の時の事を思うて、心に叶はぬ事ありとも、出会ふ度毎に会釈よく、他事なく、幾度にても飽かぬ様に、心を付けて取り合ふべし。
また無常の世の中、今の事も知れず、人に悪しく思はれて果たすは、詮なき事なり。但し、売僧、軽薄は、見苦しきなり。これは我が為にする故なし。
また人を先に立て、争ふ心なく、礼儀を乱さず、へり下りて、我が為には悪しくても、人の為によき様にすれば、いつも初会の様にて、仲悪しくなることなし。
人々が協調して、天道に従っていれば安心である。協調性のないものは、大きな仕事をしても忠義ではない。同僚と仲が悪く、時たまの会合にも欠席がちで、いつもつむじまがりなことばかりいっているのは、度量の狭い愚痴から出るのである。いざという時のことを考えて、気に入らないことがあっても、誰と出会っても、その度ごとに愛想よく挨拶し、わけへだてなく、何度会っても飽きられないように、心をつくして付き合わなければならない。
また、世の中は無情であるから、今のこととてどうなるかわからない。だから、人に悪く思われて死んではつまらないことである。しかし、悪徳坊主のように軽々しくおべんちゃらをいうのは見苦しい限りである。これは自分の利益のためにすることである。
また、他人を先に立て、争う心もなく、礼儀を乱さず、へりくだって自分の得にならないことでも、他人の良いようにすれば、いつも初めて会った時のようで、仲が悪くなることはない。
ものごとには過程とその結果というものがある。よく人は、結果よりもプロセスの方が大切であるという。これは結果の悪い者には気休めの言葉にはなるが、ものの本質をついていない。過程と結果との間には、常に相関関係がある。つまり、過程がよければ結果はよく、結果がよければ過程もよかったということである。これは手段と目的においても同じことがいえる。片方は悪いが一方はよいということはありえない。ただ人の目には、そこに内在する因果関係がわからないというだけのことである。
『葉隠』では、あらゆる手をつくして立ち向かえば結果はおのずとよくなるという。それには会合のこと、会釈のこと、礼儀のことなど万般にわたっての作法が大切であると説かれている。
■「WEDGE Infinity」のメルマガを受け取る(=isMedia会員登録)
週に一度、「最新記事」や「編集部のおすすめ記事」等、旬な情報をお届けいたします。