それ以外に、いわきについて知っていたことといえば、常磐ハワイアンセンター(現在のスパリゾートハワイアンズ)くらいだろうか。ただし、あの施設が、常磐炭鉱閉山後のいわば“町おこし”のために作られたということは、『フラガール』(李相日監督・シネカノン制作)という映画を見るまで知らなかった。そして、いわきが「磐城」であり、磐城が「石炭」を意味することは、今回の取材をするまで知らなかった。
軍艦マーチ
石炭(いわき)の煙は大洋の 竜かとばかり靡くなり
弾撃つ響きは雷の 声かとばかり響むなり
万里の波濤を乗り越えて 皇国の光輝かせ
これは、よくパチンコ店の開店のときにかけられる軍艦マーチ、正しくは「軍艦行進曲」の2番の歌詞である。石炭と書いて、「いわき」と読ませる。この曲が作曲されたのは1900年(明治33年)だから、ちょうど日清戦争と日露戦争の間の時期である。当時の軍艦は石炭を燃料としており、当時、石炭といえば磐城産と相場は決まっていた。だから、石炭=いわきなのである。
石炭産業の隆盛とともに発展したいわきは、1960年代以降、石炭産業の斜陽化に苦悩し、現在はよくも悪くも原発事故の影響を大きく被っている。いわきという街は、エネルギー産業の浮沈に翻弄される運命にある街なのかもしれない。
私はかつて札幌市の南区にあった豊羽というヤマで暮らしたことがある。豊羽は銀、銅、亜鉛、鉛、インジュウムなどを産出する非鉄金属のヤマだったが、すでに1999年に閉山している。
非鉄のヤマはおそらく、石炭のヤマとは似て非なるものだった。炭鉱につきものの爆発事故もなかったし、ボタ山もなかった。選鉱の段階で取り除かれた黄鉄鉱などが砂利の代わりに道路に敷き詰めてあって、道路一面がキラキラと輝いていた記憶があり、石炭のヤマにつきものの粉塵は一切なかった。
しかしながら、ヤマにはやはり共通項がある気がする。山っ気、山師、山を張る……。ヤマは一発当てれば大きな世界である。石炭にしろ金にしろ銀にしろ、ヤマには一種の博打性が潜んでる。
いわきという街の下地にそうした気風があるのかどうか、まだ私にはわからないが、私はヤマという一点でいわきと接点を持っていると言えなくもない。反対に言えば、それ以外、私といわきは何の接点もない。